Yoko's 人生=旅 on this Blue Planet
高速回転中の青い惑星地球、負けじと走り回る一人の記録。
犠牲者ー事故処理作業者(リクビダートル)の知られざる現実1&2(2003)
犠牲者ー事故処理作業者(リクビダートル)の知られざる現実1&2(2003)

(8:59) uploaded by YellowTulip2001:


(5:31)


<<書き起こし>>

”The Sacrifice" 「サクリファイス」

(犠牲者ー事故処理作業員の知られざる現実)
監督:エマヌエラ・アンドレオリ & ウラディミル・チェルトコフ
   (Emanuela Andreoli & Wladimir Tchertkoff)


1986:

 (ヘリコプター内部)「真正面に見えるのが排気筒。右側が4号炉の制御室。スイッチオンにしてこの進路を保つんだ。」

 「私は発電所の屋上で4日間作業した。1日目は覆いの端をハンマーで叩いて、水抜きをした。2日目はコンクリート・パネルを(屋根の)上から落とした。時間は5分。

 3日目は換気塔野の解体。4日目は黒鉛の破片の除去。
 黒鉛を手で掴んで放り投げた。」



*チェルノブイリ原発の屋上には、黒鉛やウランが散乱していた。二万☆まで照射されたものだ。黒鉛の破片を手で持つと、通常の環境では一生で浴びる程の線量を1から1.5秒で浴びる。
 リクヴィダートルと呼ばれる労働者100万人が原子炉に送り込まれた。そしてこの破局事故の影響が他のどの地域にも及ばないよう、戦慄すべき放射線環境の中、即席の石棺で原子炉を封印した。
 素手とショベルとウォ-タージェットで放射能と格闘したのだ。
 数万人が亡くなり、今も死に続けている。

 ソ連の科学者たちが計算すると、原子炉火災を5月8日までに何とかしないと、燃え続ける核燃料がコンクリート土台を突き破って冷却水☆の中に落下し、ヒロシマの20−50倍もの大規模な爆発を引き起こす可能性があった。
 するとヨーロッパも居住不能になり得た。
 
 5月6日、原子炉火災は手名付けられた。リクヴィダートルたちの信じがたい献身のお陰だが、彼らへの補償は無きに等しかった。ロシア、ウクライナ、ベラルーシは彼らを見捨て、彼らは孤独に捨て置かれた。

 そして西側諸国も彼らを黙殺する。*



1991:

 「栄誉賞状を貰ったのも今は昔で、その時は張り合いも出たが、それも今はガラクタにしか見えない。
 お偉方はたくさんの約束をしてくれたものだ。
 この表彰状は屋根の上で良い仕事をしたから渡してくれた。それで屋根の上で働いて、終って屋根から降りて来たら、指揮官がくれた報酬というのがこれだったわけだ。

 「こう云われたものだ、”イヌみたいに駆けて行け、ウサギみたいに逃げ戻れ”と云われた。今は第2級の障害者だ。余りに色んな病気を抱えているので、いちいち数えきれない。35歳でも70歳の老人みたいだ。
 私たちは屋上を片付けた。石棺を作らねばならぬということだったから。爆発のため、ウランやBAR☆の黒鉛があった。
 ロボットは持ち堪えられない。内部の部品が融けて動けなくなってしまうからだ。それで人間が送り込まれたのだ。
普通の兵士服だけを着て屋上で作業した。ガーゼのマスクを顔に、そしてオートバイ乗りのようなメガネをつけて、斧でもって鉛の板を切り出した。そして放射線防護服らしきものを作った。鉛は放射線の通過を遮断するというからだ。防護服は自前でというわけだ。」

 「アスベストはもう剥がし終わった。アスベストをストレッチャーに載せろ。急いで破片を放り投げろ。わかったか。一個、二個と運ぶ☆ 場所に着いたら90数えろ。1、2、3、4、、、90だ。90になったら、道具を置いて逃げ帰れ。何か質問は?」
 
 「ありません。了解。」

 「では作業開始!」

 「最初の作業時間は40秒。40秒の間に駆けて行き、ショベルがあればそれを握る。ショベルが無ければ、黒鉛の破片を手で拾う。手で黒鉛を原子炉の中に放り込んだ。」

 「1日目、線量計は34レントゲン、しかし”9”と書かれた。2日目は約30秒なのに”5” 指揮官に要求した:’何してる?測定通り書いてくれ!’ すると、’さっさと出て行け!二度と来るな!’ それで終了。」

 「私もはっきりさせようとした☆ 影響はてきめんに出た。吐き気。。。。ぶらぶら歩いたり、気が静まらない状態。方向感覚がなくなり、急に力が抜ける。

 原子炉で2ヶ月働いた、電気技師として、セメントを打つ時の照明を確保していた。設置のため原子炉によじ上ったものだ。どこにでも入って行った。」

 「私の場合、わずか”11.92レム”と書かれた。いかさまを書かれたと、ボスに言いに行ってやる!と言って、ボスの所に行くとイスに腰掛けて笑みを浮かべながら、’高くてよかったと感謝しろ、感謝しないなら、もっと低い数字にしてやっても良いぜ’」

 「前の厚生大臣サフチェンコによると、閣僚たちはリツコフ首相から招集された。リツコフは言った、”シークレットどころではない、トップシークレットだ。チェルノブイリ事故に関するすべての線量データと情報はトップシークレットだ。” そういうわけで線量計算は実施されなかった。

 たまに実施されたとしても、それは無理に線量を切り捨てるためのものだった。」

 「私は放射線を測定するよう命じられた。村落で土壌を平たく削り取った。放射能汚染を下げるために。放射線測定器を与えられた。測定するといつでも針が振り切れていかれた。線量が高過ぎたのだ。見たくない現実ばかりだったので、測定器を返却した。”お返ししますんで、何か別のものを下さいな” すると大きなショベルをあてがわれたので、作業しに行った。しかしショベルの仕事はすぐに終った。撒水機の仕事に配置されたのだ。放射能汚染されたダンプや道路に水を浴びせた。あちこちの村落で仕事したが、住民は私たちの仕事が無意味だと見抜いていた。上に尋ねた、”なぜこんな無駄働きばかりしなければいけないのか” すると”質問するな。お前は連れてこられたのだからさっさと働け”」

 「私たちは村落を除染した。ショベルで土壌をはぎ取り、手でトラックに積み込む。塵埃が充満した。そして当然ながら、それを吸い込んだ。」

 「健康状態だが。。。私は自律神経失調症で、心臓神経症でもある。チェルノブイリが原因で私たちを苛んでいる病気だ。胃腸の具合も悪化してひどい苦しさだ。昔は腎臓の病気などなかったのに、今は腎臓もダメになった。脱力感を別にしても、精神状態もよくなくいつもイライラ感がある。」

 「事故現場から10日目に帰宅したが、直ちに異変が現れた。11月、まず左の手の感覚が無くなり、次に左腕。次に左の尻、そして両足が麻痺した。医者もお手上げだった。放射線被曝が原因だということすら認めようとしなかった。
 仕事をやめずに続けた。トロリーバスの運転手だったが、病気については一切口をつぐんでいた。家族を養わねばならなかったから。片手と片脚だけで運転を続けた。
 その内勤務中に意識を失って、自宅に担ぎ込まれた。今はもう歩く事もできない。目眩もする。しかしそれよりも厳しいのは脚だ。脚が歩こうとしてくれないのだ。自宅では壁伝いに這っている。」

 「私は指揮官だったので、誰もがこの仕事は不可欠だと認識している事がひしひしと分かった。”そうだ、俺たちは人の命や生活を守っているのだ” と。私たちの事は永久に記憶されるのだと思っていた。でも今は御用済みでお荷物なのだ。求めているのはただ人間的な扱いなのに、それだけでやかましい厄介者なのだ。」

 「”6ヶ月毎に様子を伺いに参ります”と言ってくれた。6ヶ月が過ぎた。何の音沙汰もなかった。医者も来ない、誰も来ない。
 私たちは社会のゴミなんだ。」

 「お前はよく働いてくれた。賞状を授与する。」

 「健康と繁栄と堅忍不抜を祈る!」


1999年:

 「俺はしきりに倒れるようになってしまった。車椅子を使って下さい、と妻が言った。それで車椅子にした。それだけのことだ。今は車椅子生活者だ。知った事じゃない。」

 思い出したら辛いだけ。忘れてしまう方がマシさ。太陽は輝く、美しく輝く。思い出したら地獄を見る。忘れてしまった方がましさ。”今は昔、夢かうつつか”というだろう。

 もしかして外国の誰かさんが、自動車をくれたりしないかな。中古でもいい、どんな型でもいい。外に出かけて野山を走りたいだけだ。こんな有様で自然に接しないままなのは厳しい。まったく悪夢だ。

 車がたまらなく欲しい。そんなのは夢、叶わない夢だとわかってはいても、しかしそれにしても。。。

 ベッドの上に板のように平たく横たわっていると、飼い犬がやってきてジッと見てるんだ。そこで”何で俺のこと見てるんだ?”
 俺はやってみせる、"ワン!”
 イヌは思ってるんだ、このおやじ終ってるなと。
 構いやしない。
 イヌは離れていって台所に行く。
 そして戻ってくる。”どうしたんだ?”
 ”ワン!”
 また離れて行く、そしてまた戻ってくる。もう三度目だ。
 俺が”ワン!”
 イヌも”ワン!”
 ”これで話が通じたね”
 何たる悪夢」

 「人間が1人 まったく徒らに終った。俺たちは何もかも断念あるのみ。
 本当はまだ若い。。。38歳だが60歳だといってもかまわない。
 何が違うんだい?
 チェルノブイリがあってからというもの、希望も何も無くなったんだ。

 ヴォドラズスキーが死んだ。
 ミゴラク・クリモヴィッチも死んだ。
 リオンカ・ザトゥラーノフも死んだ。
 まだ生き残っているのは、コルカ・ヴェルビッキーと俺だけ。
 俺たち5人の中で、何故かまだ生きているんだ、白いカラスのように取り残されてね。
 どうでもいい。
 
 チェルノブイリは確かに起きた。でも言うじゃないか。
 ”今は昔、夢かうつつか、嘘かまことか”と。
 あの頃のことは忘れるに越した事はない。
 昔は大人の男だった。
 昔は歩けた。
 昔は車も運転した。今となってはもぬけの殻だ。
 これには何かわけがあるに違いない。
 神様の前でそんなに多くの罪を犯したとも思えないが。。。
 とにかく全部大丈夫☆
 悪夢だよ。

「サクリファイス」 - 犠牲者- 事故処理作業者の知られざる現実 2/2

(9:22)



2001:

 「私たちは83年に結婚、早くも86年には夫はチェルノブイリ行き。
 すべての厄災はそこから。
 夫はいつも入退院を繰り返し
 夫の左腕は麻痺し、次は左足も麻痺。
 なのに言われました、”仮病だろう、ふざけてるんだろう?”

 大の大人が歩けないのです、明らかではありませんか。
 夫はしきりにつまづいて倒れました。医者は”風邪でも引いたんでしょう。運転手をしていると激しい風にもあたりますしね”と。
 でも実際には全然違う病気だったのです。

 チェルノブイリは悲劇、まだ理解されていない悲劇。

 放射線被曝によるこの病気は実質上治療不可能で、患者たちはサンプルにされているのです。
 夫は6ヶ月間寝たきりで、その後、、、いわば生きながらにして、体が崩壊したのです。


 肉体組織がすべて崩壊し始め、腸骨が見える程になりました。

 私は医者に指導された通りのやり方で夫の看病をしました。女の医師の所に出かけて、方法の説明を受けました。
 夫の心臓が止まるまで、そんな調子で続けました。

 肉がすべてそげ落ちて、、、背中は全部肉が落ち、骨がむき出しでした。寛骨も手で触れる程でした。私は手袋を使って、手で、骨の消毒をしました。

 分解し腐乱した骨の残骸を取り除きました。何故か分からないのですが、急に容態が悪化しました。
 医師に助けを求めたり、大学教授に頼ったりしました。可能な限り誰にでもすがったのです。
 しかし言われました、”こんな病気は初めてで、よくわかりません。症状を緩和することしかできません” といった調子なのです。

 骨髄がダメになって行くのに直面して、彼らはお手上げでした。なす術がなかったのです。

 夫はもう死なせてくれと頼みました、苦しまなくて済むようにと。痛くてたまらなかったのでしょうね。
 寝返りを打たせると、歯ぎしりをしたり、うめいたりしました。
 でも彼は絶対に叫び声をあげたりせず、耐え抜いたのです。
 意思の強い人でした。

 娘には腎臓の異常があります。息子は少し吃音があり、目も病気です。」

 娘:「片方の腎臓が下垂しています。痛いです。」

 母:「これは私たちだけの悲劇ではありません。ベラルーシ全体の悲劇です。
   事故処理作業者たちは、何のいわれもないにもかかわらず、この事故で人々を救い、すべてをこなし、そしてたちまちまったく忘却されて行きました。


   今住んでいるアパートの部屋を得るためにも、ハンストまでせねばなりませんでした。
   夫が入院したとき、そこでは人々が権利を獲得するために断食していました。

   助けを獲得するためにです

   労働者集めのとき、お偉方は大層な約束をしました。住む家とか、子どもたちの託児所とか、でも結局はすべて空手形でした。

   胸がつかえます。すべての出来事を目の当たりにして辛いばかりです。
   何の罪もないのに、何故なのか分かりません。

   そうですとも。夫は話題が豊富で、誰とでも、どんな話でもでき、彼といると誰も遠慮なく話が弾みました。
   夫のような人と共に生活するのは苦労がありませんでした。

   彼はすべてを理解し、すべてを私に捧げてくれたのに。

   なかには足るを知って静かに生きることができる人もいます。”私にはあれとこれがある、それで十分だ”と。
   しかし夫は人生に何かそれ以上のものを求めたのです。
   何かそれ以上のもの、遥かに超えたものを見つめていたのです。
   夫は生き急ぎました。

   埋葬が終ってから一年も経った頃、「チェルノブイリ・アソシエーション」が電話をしてきて”ご主人の様子は如何か”と尋ねました。
   もう亡くなりましたと伝えました。そのことすら知らなかったのです。

   夫は言っていました、”チェルノブイリから13年間は生きたいものだな”
   それが生き甲斐だったのでしょう、そうでもなければ、どうしてあんなに長い間闘病生活ができたでしょう。

(墓地で)
   ここには事故直後に亡くなった人たちも眠っています。
   私たちの親友、ヴォドラズスキーは指揮官で、ヘリのパイロットでしたが、またたく間に帰らぬ人となりました。
   夫と同じく、肉体組織の崩壊に襲われたのです。

   ヴォドラズスキーは、原子炉の真上を飛行しました。兵士たちが原子炉を封印している時も、その場から離れませんでした。彼は一緒に作業していた兵士たちを、仕事から外しました。兵士たちに、お前たちは関わるな、と言って、自分で操縦したのです。十分にわかっていながらそうしたのです。
   そんなことしていたら、後で無事では済まない事も。。。



2003:

*2000年12月15日、最後まで運転していたチェルノブイリ原発の原子炉「3号機」がついに閉鎖された。しかし石棺の中で溶岩のように堆積した200トンの核燃料が環境に拡散しうるため、将来いつかは除去されねばならない。
 事故炉の一連の処理計画は1世紀もかかるだろう。
 専門家チームが石棺の健全性を24時間モニターし記録している。亀裂を検査し、原子核連鎖反応を防ぐため湿度を監視している。

 ウラン235がある近傍で、放射線量計が数回中性子の存在を示した。ウランが臨界量以上存在し、湿度も加わると、中性子によって連鎖反応が始まり爆発を引き起こす可能性がある。

 ”チェルノブイリの妖怪”はまだ生きているのだ。



 「今は昔、夢かうつつか」

 「悪夢だ。。。」



カメラ・音声:ロマーノ・カヴァゾーニ(Camera and Sound: Romano Cavazzoni)

編集:エマヌエラ・アンドレオリ(Editing: Emanuela Andreoli)

監督:エマヌエラ・アンドレオリ & ウラディミル・チェルトコフ
   (Emanuela Andreoli & Wladimir Tchertkoff)

制作:フェルダート・フィルム(スイス)(Production: Feldat Film - Switzerland)



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テーマ:「原発」は本当に必要なのか - ジャンル:政治・経済

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