Yoko's 人生=旅 on this Blue Planet
高速回転中の青い惑星地球、負けじと走り回る一人の記録。
思考の種(575):あなたには、国のために死ぬ覚悟がありますか?ほか
1)伊藤祐靖、伊勢﨑賢治:あなたには、国のために死ぬ覚悟がありますか?~自衛隊「特殊部隊」創設者と「紛争解決人」が悩み抜いた末に出した答え 2016.8.02.


あなたには、国のために死ぬ覚悟

ありますか?

伊藤:頭がどうかしちゃったんじゃないかと思います(笑)安倍総理が記者会見でパネルを2枚使って説明していましたが、「邦人輸送中の米輸送艦の防護」とか「駆け付け警護」なんて、集団的自衛権の本質と何ら関係がないことじゃないですか。あれは、一国の総理がやることではないと思いました。

日本では、普通の人、ちゃんとした人に限って、コントロールしやすいのだと思う。だから、上に立つ人間が間違えると、たいへんな悲劇になるのです。

言い換えると、自分のポリシー、考えよりも、大勢の流れに身を置くことを重んじてしまう。自分の命さえそこへ委ねてします。


▪️今も夢に出る東チモールの惨劇

戦闘のプロフェッショナルと、紛争解決のプロフェッショナル。異色の二人が、ここに出逢った――。

自衛隊初の特殊部隊「海上自衛隊特別警備隊」の創設者の一人で、退官後はミンダナオ島に拠点を移し、日本を含む各国警察、軍隊に指導を行ってきた伊藤祐靖氏。国連職員などを経て、東チモールやアフガニスタンの紛争解決に取り組んできた伊勢﨑賢治氏(現東京外国語大学教授)。

命をかけて国のために任務を遂行してきた二人が、憲法改正の現実味が増す中で、PKOの現実、そして憲法改正について語り尽くす。


伊勢﨑:伊藤さんの最新作(『国のために死ねるか』文春新書)を読んで驚いたのは、よくもまあ、細かいことまで覚えているなあ、と(笑)。冒頭、伊藤さんの乗った護衛艦が不審船に向って威嚇射撃をするシーンが出てきますけど、あんな混乱した状況なのに、自分の行動だけじゃなく、艦長や他の乗組員と交わしたやりとりも、じつに細かく覚えていて、再現している。僕は全然ダメ。過去のことは忘却するばかり……。

伊藤:私の場合、動画のようなものが頭に残る性質なんです。あのときのことを思い出すと、ああ、月はこっちに出ていたな、とか、その月にどんな雲がかかっていたな、と。場合によっては、匂いまで覚えています。




伊勢﨑:僕は、20代から、国際組織の現場の長をやらされ、どういうわけか、そこが戦争状態になったりして、その中で下した命令が部下の命を犠牲にすることを繰り返してきました。精神的な防御本能なのでしょうか、つらいことはどんどん忘れるんです。

ただ、ふとしたとき、思い出すんですよ。東北大震災からまだ1年もたっていないころ、被災した福島高校の生徒たち10数名と、延べ5日間の集中授業をしたんです。本の出版企画です。この子たち、肉親を失った子もいて、ある意味、地獄と、政府や社会の〝本性〟を見てしまった。震災の悲劇に加えて、「放射能差別」が始まった時でしたから。

そんな子供たちと何日も一緒にいて、いろんなことを話していたら、お互いどんどん裸になっていって、僕の方も自分の過去を語るにつれ忘れていたことを思い出した。それ以来、東チモールでのPKOのことだけは、結構、夢に見ます。


伊藤:東チモールでは何があったのですか?

伊勢﨑:東チモールは1999年にインドネシアの占領から独立しようとしたのですが、独立反対派の民兵との間で内戦状態になって焦土と化し、その内戦の終結と戦後復興のためPKOが派遣されました。国連が暫定的に主権を預かり暫定統治を敷くんですが、僕は幹部として、独立反対派が潜伏するインドネシア領西チモールとの国境に接する県の県知事に任命されたのです。僕の下には、ニュージーランド陸軍歩兵大隊とパキスタン陸軍工兵大隊、計2個大隊約1200名が置かれたのです。

当時の東チモールの中で最も緊張した現場だったのですが、ある日、国境線を越えて独立反対派の10数名民兵部隊が侵入してきた。そして、国境付近のジャングルをパトロールしていたニュージーランドの分隊と遭遇、銃撃戦になるんです。そして、その中で一番若い、まだ20歳の兵士がMIA(戦闘中行方不明)に。翌日、惨殺されて発見されるのです。両耳が削がれて無くなっていました。続いて、ニュージーランド大隊の下に派遣されていたネパール中隊の兵士一名も同じように殉職。

ここで、僕たちには、今でも思い出しますが、怒りで烈火のような復讐心が生まれました。特に、ニュージーランド大隊の隊長は平常心を失い心身ともにボロボロに。ニュージーランドって、本当に平和な島国なんです。特に、陸軍は近代において戦争らしい戦争なんてしたことがないと思いますよ。つまり、慣れていない。隊長は僕に、戦闘許可を求めてきました。

当時のPKO部隊には、「平時」は緊急回避や自己防衛といった基本、警察行動の武器使用しか認められていません。それが「戦時」に切り替わると、戦時国際法/国際人道法上の「交戦」の武器使用となる。つまり、「犯罪者」として捕獲するのではなく、交戦の「敵」として、同法に則って殲滅する。この瞬間から民兵は合法的な殲滅対象になるのです。民兵も東チモール人です。一般住民との区別は難しい。大変なリスクでしたが、その許可を僕は出したのです。

結果、10数名人の民兵たちを1カ月半以上、武装ヘリまで使って追い詰め、補給を絶たれヨレヨレになったところを全員射殺しました。捕獲はリスクをとればできたでしょうが、全員射殺したのです。僕は何人かの死体検分に立ち会いましたが、外見は、普通のアンチャンと変わりない。これが夢に出るのです。

国連のホームページを見ると、PKOで殉職した国連要員は公開していますが、PKOが殺した人数はありません。しかし、実際には、たくさん殺しているんです。国際法上では合法なんで、仕方がないといえば仕方がないのですが……。



▪️国連ですら、殲滅戦を容認する時代に

伊藤:ただ、少なくともシビリアンコントロールはきれいに行われたわけですね。ミリタリーのボスがシビリアンのボスに許可をとって、武力を発動している。

伊勢﨑:とはいえ、いい思い出ではありません。

伊藤:失礼ながら、自分の部下が殺されたくらいでボロボロになったその隊長は、正直な人だとは思うけど、軍隊の指揮官には向いていないですね。生々しい話ですが、部下が人を殺し、部下が人に殺されるのは、仕事の範疇なんです。外科医が人体を切って開いて、臓器を切除して取り出すのが仕事の範疇というのと似ているのかもしれません。それを理解して、志願して長年そのために教育も受けて、訓練もし、精神的にも肉体的にも準備してきたはずです。

でも、シビリアンは違いますよね、そんなことを職種として選んだわけではない。突然、手術の場に連れて行かれれば、向いていない人は卒倒するかもしれない。相当なショックを受けられるのは当然だと思います。まして手術は人命を救助する目的がありますが、その真逆の世界なんですから、伊勢﨑さんのご苦労は大変なものだと思います。死刑執行のとき、何人かで同時にボタンを押して、誰が執行したのかを判らなくさせていることから考えても、大変なご苦労があると思います。

私自身、今お話しを伺って知りましたが、シビリアンコントロールの本当の難しさはそこにあるのかもしれません、伊勢崎さんと同じ立場になるシビリアンの方だけではなく。それを強いる組織、国連を始め、各国がこの事実を広く強く認識する必要があるんでしょう。

伊勢﨑:そうですね。でも、それは、伊藤さんの度量は一分の隙もない特殊部隊のものだからかも知れません。PKOなんて、所詮、よその国の平和の維持。自国の国防と同様の真剣さがあるわけがない。先進国の歩兵部隊なんて、観光旅行のような気持ちで、ダラダラやってきたんですから。でも、1999年、国連PKOは大変身するんです。それが、国連事務総長官報「国連PKOによる戦時国際法/国際人道法の遵守」

それまではPKOは中立でなければいけないということが前提として考えられていて、それがダラダラの原因だったのですが、交戦の主体として、戦うことをしなかった。ところが1994年、ルワンダで、PKOがいるにもかかわらず、目の前で100万人という住民の大虐殺が起きてしまった。このへんから、虐殺を防げない不甲斐ないPKOという非難が内外から高まり、「住民を守るためには、PKOも戦争をしろ」ということになったのです。その直後だったのです。僕が遭遇したこの東チモールでの戦闘は。

今やPKOはどんどん進化して、コンゴ民主共和国の国連PKOでは、なんと先制攻撃までできるようになったんですよ。住民に危害を加えそうな武装集団をあらかじめ特定し、武装解除の命令に応じなければ殲滅してもよくなった。FIB(Force Intervention Brigade=「介入旅団」)といって、特殊部隊まであります。


伊藤:どこの国の特殊部隊ですか?

伊勢﨑:グアテマラです。昨年、国連PKOの最高司令官と最前線まで行ってきたのですが、狙撃、落下傘、夜襲の特殊部隊120名です。コロンビア、メキシコの麻薬カルテルとのジャングル戦で練度のある連中です。これが国連章をつけて、言うことを聞かない連中を殺しまくっている殉職者も多数出しています。これがPKOの現状です。20年以上前に日本が初めて自衛隊を出したカンボジアのPKOとは、まったく状況が変わっている。

PKOのルールそのものが変化していることを、日本人は、よく知っておいてほしいと思います。そういうところに、日本は自衛隊を出し続けているのです。今話題の南スーダンですが。コンゴ民主共和国と隣接していて、反政府ゲリラは、国境を跨いで自由に行き来しています。

また、自衛隊にこの心配はありませんが、国連内部でも問題になっているのが、PKOの好戦化に伴う兵士の質の低下です。周辺国からのPKO部隊は、「アフリカの問題はアフリカ人の手で」で、派遣が迅速で、集団的自衛権のマインドで戦ってくれるのはいいのですが、援助物資と引き換えに現地の女性に売春を強要したり、レイプしたりする事件が頻発している。人道主義の高まりで好戦化したPKOが逆に人道問題を起こす。これは本当に頭が痛い。

だから、いずれロボットや人工頭脳の性能が上って敵味方を識別できる〝ターミネーター〟部隊のようなものがPKOの究極の姿かもという議論を、ロボットが交戦主体になることは戦時国際法/国際人道法的にどうなるのかという議論と共に、国連ではやっているのです。ロボットなら人権侵害も拷問もレイプもしませんから。



▪️殺されなかった理由

伊藤:もはや先進国はほとんどPKOに軍隊は派遣していませんね。

伊勢﨑:そうです。先進国が部隊を提供する慣習的なニーズは存在しません。PKO派兵国の多くは外貨稼ぎの発展途上国です。PKOに兵力や装備を貸し出せば、国連から償還金がある。インドやパキスタンが有名ですが、お互いの戦争が冷戦化して兵力が国内で余っているからどんどん貸し出して、外貨を稼ぐ。他は、紛争を放置しておくと難民などで自国も被害を受けるということで集団的自衛権のマインドの周辺国です。この頃は、その紛争の根源的なモラル上の責任のある旧宗主国も出しません。

伊藤:国連もいよいよ厳しいですね。もともと第二次世界大戦の戦勝国が、自分たちの利権を守るために始めた組織ですよね。それが〝善人面〟をしているうちに、こんなことになってしまったわけです。

伊勢﨑:中国も含んだ戦勝国の世界統治システムであることは間違いないのですが、今のところ替わりになるものについてのコンセンサスがないから仕方がないというところでしょうね。

伊藤:理想論でしょうけど、もう戦後70年以上たったのだから、そろそろ戦勝国の特権を公然と認めているシステムはやめにして、国際問題解決を目的とする組織を作ることについて、きちんと考える時期に来ているのではないでしょうか。

伊勢﨑:そういう視点で見ると、EUではイギリスが離脱しても、NATOではより結束する方向へと動いているのは興味深い。フィリッピンも、いったんはアメリカを追い出したのに、最近、対テロ戦ではやたらと同盟を深化させています。

ちなみに、米比間の地位協定は、NATO諸国間の地位協定と同様なものになりつつあるつまり、軍的な過失や犯罪の際の裁判権などの特権が、日米のように一方的なものでなく、「互恵的」なのです。つまり、「逆」がありうる。軍事演習かなんかでフィリッピンがアメリカに駐留中に起こした公務中の過失の裁判権は、なんと、フィリッピン側にあるのです。これからの日米関係を考える際に、参考になるケースです。

僕は、地球上で起こる全ての殺傷行為が、唯一、人権という観点から刑事事件として裁かれる世界政府体制に国連がなる、という夢は夢としてとっておきたいですが、そんなもの一顧だにしない、というか、それを破壊することを是とする新たな敵が、アメリカを中心とする我々自身がつくり、それがアフガニスタンでアメリカ建国史上最長の戦争を地上最強の通常戦力に戦わせ、敗北させたんですから。夢想するのは、ほとんど不可能な状況ですね。


伊藤:それにしても、伊勢﨑さんは、たいへんな経験をされた。シエラレオネやアフガンでは、武装解除の責任者ですよね。丸腰で民兵や軍閥の親玉相手に「武器を捨てなさい」と交渉するというのも、とてつもない話です。編集者に言わせると、私や伊勢﨑さんには「ひとを見る目」があるそうです。

私の場合は、「自分が死ぬのは仕方ないけど、何とか任務だけは達成しよう」と考える、普通の人からすると〝おかしな〟連中を見抜いて精強な特殊部隊を作った、というのが理由らしい。伊勢﨑さんは、まさに信用する相手を間違えなかったから、民兵や軍閥に殺されずにすんだというわけです。この編集者の見立てはどうでしょうかね。

私自身は、どちらかというと、「ひとを見る目」がないんですけどね。周りの人が、「あいつは嫌な奴だ」と言っても、私は全然そう感じない。で、1年くらいたってやっと、「皆が言う通り、やっぱり嫌な奴だな」と気づく(笑)。そのくらい鈍いんです。ただ、自分と同じ匂いのする人は、視界内に入っただけでわかります。

それと、私が仲良くなる人というのは、自分のことをよく見られたいと思っていない人ですね。等身大でいられる人そういう人は、初対面でも、何となく胸のあたりがすっと落ち着いて見えて、ふわふわした印象がない。考えているのはそのくらいのことで、とても「ひとを見る目」なんてものではない。

伊勢﨑:僕もそういうことは考えたことがないなあ。武装解除の仕事は、基本的にこちらの形勢が圧倒的に不利なんです。基本、丸腰で完全武装の民兵や軍閥の懐に入ってゆくわけですから。アフリカの民兵なんて、朝から麻薬をやっているような連中でしょ。そんな相手のところに、襲わないよという口約束だけで出かけるわけですから、信じるも信じないもありませんよ。

それに、民兵組織の司令官たちは、基本的には重大犯罪者です。虐殺レベルの大量殺人の責任者、実際に自身が手をかけている連中ですから、それを信じろっていったってね。

アフガンの軍閥の親玉と話をしていたときのことですよ。でっぷり太った偉そうにしたやつです。周りには完全武装した子分が取り囲んでいる。そのとき、ふっと妄想みたいなものが頭をよぎるんです。

今、この場から二人だけ、大草原のど真ん中にワープしたら、こいつをどうしてやろうか。1対1なら、絶対こんなクソオヤジは倒せる。俺は空手をやっていたから、まずはいきなりローキックで大腿骨を折って……なんてね(笑)。そんなことを想像しながら交渉するんです。基本的に、全く魅力のないお仕事です。


伊藤:なるほど。逆に伊勢﨑さんが殺されなかった理由がわかるような気がします。たとえが悪いかもしれませんが、引き金を絞る瞬間でも、田舎の不良がカツアゲするときだって、手を出す瞬間の心理状態に、いじめっ子の心理に近いものがあると思います。相手が、ビビっているのを隠そうとしたり、背伸びしているのが見えた瞬間に手を出すんですよね、普通にしている奴に対しては、なかなか出せないものなんです。

ましてや、「大草原に行ったらぶっ倒してやる」なんて考えている奴からは、嫌なオーラのようなものが出ていて、撃てるものではない。ただし、これは教わってできるものではありません。これを読んで、「そうなんだ」と思ってやったら、ズドンとやられますから要注意です(笑)


▪️命をかけるとはどういうことか

伊勢﨑:伊藤さんの本に戻ると、タイトルが、『国のために死ねるか』ですよね。そこで聞きたいことがあるんです。まだ自分でも整理がついていないのですが、「命をかける」ということについてです。

たとえば、この本には、北朝鮮による拉致問題が出てきます。他国が自国民を勝手に攫って行って、それに対して何もできないことに対しては、僕もたいへん忸怩たる思いがある。小泉政権後、日本政府は本当に何もやっていませんからね。拉致被害者の家族はかなりご高齢になられていますが、その人たちが亡くなるのを待っているとしか思えない。同じ「日本人」として悔しい。その気持ちは絶対にある。

一方で、命をかけるというのは、別の言葉で言うと、リスクを負う覚悟ですね。そういった意味では、僕らのようなPKO要員もリスクを承知でやっていますから、特殊部隊の皆さんには足元にも及びませんが、まあ、命をかけているのでしょう。この場合、リスクとは、自分の命もあるでしょうが、逆に人を殺すリスクも、です。

人間誰しもリスクは負いたくない。しかし、自分の中にある大義があって、それを達成したいと思う願望が、多少のリスクを負っても、と思う時がある。そういう時に、リスクをとる自分の背中を、国家のような他の主体が押してくれたら、うれしいですよね。PKOのような戦争処理の現場は、それが交錯する場所なんです。

たとえば、東チモールでは、別に僕は日本のためにやったわけではありません。それは、東チモール人のためとも言えなくもないけど、実際、僕、派遣が決まるまで、あの国には何の興味もありませんでした。ただ、自分が役に立ちそうだと思ったし、21世紀初独立国家というので世界も注目していたから、刺激もあった。こんな感じで、個人の大義を僕の中で作ってたんですね。

そこで、ニュージーランド兵が殺された。もし、それが自衛隊員だったらどうか。ニュージーランド兵の死より、自衛隊員の死のほうが、より頭にきたか。たぶん、そうはならなかったと思います。僕のその時の怒りは、国籍を超えていましたから。だから、僕個人の大義が生む怒りは、国を単位としていない。しかし、拉致問題では、「日本人」だから頭にくる。これをどう消化すればいいのか。僕にはまだ整理がついていないんです。愛国心がないと言われそうですが。


伊藤:正直言って、始まってしまえば、そこは考えないと思います。行く前には考えるかもしれませんが、いったん行ってしまえば、自分が行動する意義についてはいちいち考えないと思います。作戦行動がはじまってしまえば、それより、作戦の目的「何をするための作戦」だったのか、というのには、何度も立ち返るとは思いますけどね。

伊勢﨑:自衛隊ではまだいませんが、実際に犠牲になった日本人が結構いるんですね。警察官、外交官、民間ボランティアです。タジキスタンで犠牲になった秋野豊さんは、もともと僕と同じ研究者でした。それが、外務省に頼まれて、国連タジキスタン監視団の一員として現地に派遣され、犠牲になった。

日本の外務省は、民間人に頼んでこうした国連の危険な現場に行ってもらうことをよくするんです。外交官を国の命令で国連に行かせて犠牲にすると、国の責任が問われますよね。でも、民間人は個人意思で国連に応募するという形をとりますから、それが避けられる。


伊藤:アメリカのPMC(民間軍事会社)みたいなものですね。彼らが犠牲になっているうちは、アメリカ軍としては「戦死者ゼロ」ですから。

伊勢﨑:そうですね。僕ら、傭兵みたいなものですね(笑)。一方で、イラクで犠牲になった外交官の奥克彦さんがいます。生前、彼とは親しくしていました。僕が国連PKOにいたとき、彼は外務省の国連政策課長で、僕たちを国としてサポートするポジションにいましたから、帰国したらよく飲む仲でした。

彼は将来を約束されたキャリア外交官でしたが、飲むたびに、「伊勢﨑さんがうらやましい。僕も行きたい」と言っていました。そうこうしているうちに彼は駐英日本大使館勤務になり、たまたま僕がオックスフォード大学で講義があってイギリスに行ったときに再会したら、「これからイラクに行くんです。やっと現場に行けます」と目を輝かせていました。それが最後の会話でした。

彼には、もちろん、大義があったんだと思います。国連としての東チモールではなく日本政府代表としてのアフガンの時の僕と同じで、その大義の一部を占めていたのは「国益」でしょうね。それは一緒に犠牲になった井ノ上正盛さんもそうだと思います。

ところが、外務省は、日本のイラク政策の中で彼らをイラクに送ったのに、その死を〝美談〟にするだけで、省内では誰も責任をとらなかった。だいたい、あんなところに軽防弾車で行かせたわけですよ。重防弾車がなかったのか。日本の外務省は装備の配備が遅くて、急遽必要なものがあっても、だいたい他の国よりも半年くらい遅れる誰の命令で送られ、どういった危機管理をしたのか、まるで検証されていない。


伊藤:これで外務省には、職員を命令で送り出して死亡しても、誰も責任をとらなくていいという前例ができたわけですね。いかにもお役所がやりそうなことですが、これこそやってはいけないことですよね。

伊勢﨑:奥さんが、「命をかける」といった形容詞を使ったとは思いませんが、彼にはリスクをとってもやろうとする大義があったのは間違いない。

結局、この問題では、国が、リスクを上回る大義を与えられるか、そして、そこで何が起こっても、国として全責任をとれるか、ということが重要だと思うのです。


伊藤:そこが問題ですね。でも、私からすると、国が何を考えているのか、よくわからないんです。国としての理念があって、その理念からするとどうしても許せない事態が起きているから、死ぬかもしれないけど行って来い、と言われたら、われわれは、「わかりました!」と行くんですよ。しかし、「しょうがないだろう」とか「政治の要請だから断れない」という感じなら、命令ごと断りますよ。

伊勢﨑:自衛隊に関しては、憲法的にその存在が認められていないのに、どうやって大義を与えられるのか。そんなことは無理でしょう。

伊藤:誰が見てもおかしいですからね。この憲法をなくすか、自衛隊をなくすかしないと、おかしいでしょう。

【後編に続く】



伊勢﨑賢治(いせざき けんじ)1957年東京都出身。早稲田大学理工学部建築学科卒業。早大大学院理工学研究科入学(都市計画)。国際NGO「プラン・インターナショナル」に入り、シエラレオネ、ケニア、エチオピアなどで農村総合開発を指揮。その後、国際連合職員、笹川平和財団などを経て、2000年3月から2001年5月まで国連東チモール暫定統治機構上級民政官。2001年6月から2002年3月まで国連シエラレオネ派遣団国連事務総長副特別代表上級顧問兼DDR(武装解除・動員解除・社会復帰)部長。2003年2月から2005年7月まで、日本政府の特別顧問としてアフガニスタンでの軍閥のDDRを指揮。2006年から東京外国語大学教授。「自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会」呼びかけ人。近著に『日本人は人を殺しに行くのか―戦場からの集団的自衛権入門』(NHK出版新書)、『本当の戦争の話をしよう―世界の「対立」を仕切る』(朝日出版社)『新国防論―9条もアメリカも日本を守れない』(毎日新聞出版)


伊藤祐靖(いとう すけやす)1964年東京都出身、茨城県育ち。日本体育大学から海上自衛隊へ。防衛大学校指導教官、「たちかぜ」砲術長を経て、「みょうこう」航海長在任中の1999年に能登半島沖不審船事件を体験。これをきっかけに自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊の「特別警備隊」の創設に関わる。42歳の時、2等海佐で退官。以後、ミンダナオ島に拠点を移し、日本を含む各国警察、軍隊に指導を行う。現在は日本の警備会社等のアドバイザーを務めるかたわら、私塾を開いて、現役自衛官らに自らの知識、技術、経験を伝えている。著書に『国のために死ねるか―自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』(文春新書)などがある。


写真詳細、元記事へは上の タイトルから>>





2)伊藤祐靖,伊勢崎賢治:なんて奇妙な日本国憲法!死ぬことの理由さえ与えてくれないなんて~自衛隊「特殊部隊」創設者と「紛争解決人」の嘆き 2017.8.2. (現代ビジネス)



▪️頭がどうかしちゃったのか

自衛隊初の特殊部隊「海上自衛隊特別警備隊」の創設者の一人で、このほど『国のために死ねるか』を上梓した伊藤祐靖氏。国連職員などを経て、東チモールやアフガニスタンの紛争解決に取り組んできた伊勢﨑賢治氏(現東京外国語大学教授)。命をかけて国のために任務を遂行してきた戦闘のプロフェッショナルと、紛争解決のプロフェッショナルが、憲法改正の現実味が増す中で、戦争のリアルと、憲法改正について語り尽くす。

【前編はこちらから


伊勢﨑:僕はもともと自衛隊にも9条にも興味なかったんです。それが、PKOで外国の軍隊を扱って、日本に帰ってきてからしばらくして、どうも日本は違うぞ、と気がついた(笑)。しかし、今でもその違いを、どう説明しても日本人に理解してもらえないんです。

今でも軍隊のことを〝人殺し〟と言う人がいますね。そりゃ、殺される人にとっては、犯罪者に殺されようが、警察に殺されようが、軍隊に殺されようが同じかもしれませんが、その行為に対峙する法体系はまったく違うわけです。英語では単語からして違う。メディアでも、犯罪者が人を殺すことはmurderですが、軍隊の場合は、それじゃなく、manslaughterのような単語を当てることが多い。

軍隊は、戦時国際法/国際人道法に則って、同法で規定される「敵」を合法的に殲滅するわけで、そういう感覚が日本では一般の人にも、政治家にもない。だから「防衛費は人殺し予算」みたいな言説で、政局が消耗してしまう。


伊藤:そこに問題があるということにさえ誰も気づいていない。下手すると自衛隊員も気づいていない。たとえば、自衛隊の現実は、上官が、「もっとスピードを上げろ」と命令して、スピード違反で捕まったら、逮捕されるのは命令した上官ではなく、運転していた部下なんです。こうしたおかしいことが日本の現実なんだときちんと説明して理解させないと、自衛隊は機能しないはずなんですが……。

伊勢﨑:日本政府は南スーダンのPKOに自衛隊を出していますが、あそこは日本のPKO派遣5原則なんてもともと成り立っていないんです。それでも、日本政府は「停戦が保たれている。平和だ」と言い張っている。それに対して反対派は、「もう内戦状態なんだから自衛隊は帰ってこい」と。今、撤退できないんですよ。

すでに述べたように、現代の国連PKOは、住民を見放さない、という考え方になっています。もちろん、日本政府の判断で自衛隊を引揚させることはできますが、それは「人道に悖る卑怯者国家」というレッテルを受け入れ、国連外交を放棄する覚悟でやらなくてはならないことなのです。

自衛隊は軍隊じゃない、なんて言いますけど、別にみんな私服では行きませんよね(笑)。正式な戦闘服で行く。これは、戦時国際法/国際人道法上の「義務」であるからです。軍隊であることを敵から識別できるような格好をして交戦しなくてはいけないというのが、その国際法です。同法が最も禁止するのが、民間人/非戦闘員の殺傷ですから、着ていないと、わざと民間人の犠牲を企んでいると見なされるわけです。


さらに、PKOの隊員は、右肩に国連章を付けますね。これは国連の指揮下にあることを示しています。左肩に各所属国の国旗を付けるのは、軍事組織としてその法的な存在の根拠が、その国の法体系にある、ということを示すためです。

つまり、戦時国際法/国際人道法上の違反をした場合、国内の法律……ほとんど全てにおいて軍法、日本にはありません……に従って処罰されることを示しています。これは自衛隊にとっても同じで、つまり、指揮権は国連にあって、東京ではないんです。東京にあるのは、撤退させるという外交力だけです。

伊藤:そういうことは、自衛隊員に明確に説明されません。だから行けるということもあるかもしれませんね。もし指揮権が自分たちにないとわかっていたら、私なら派遣命令を断ります。現場にとって、「誰の言うことを聞くのか」は大問題です。その人の価値判断で誰かを殺し、誰かに殺されるのが仕事なのですから戦勝国の組織の知らないオッサンの価値判断でなんて、死ねませんよ。われわれは奴隷じゃないのですから。

それをきちんと説明しない政府も

ダメですし、それを許す雰囲気を

作っている自衛隊もダメです。


もっと言えば、そこに敏感にならない自衛官もよくないと思います。私が現役のときは、PKOの任務に携わったことがないので正直考えたこともありませんでしたが、「やっぱりおかしい」ということを誰かが言わないといけません。

伊勢﨑:最近、現職の自衛官が、新しい安保法制に対して違憲訴訟を起しましたね。伊藤さんは、この安保法制をどう見ていますか。

伊藤:頭がどうかしちゃったんじゃないかと思います(笑)安倍総理が記者会見でパネルを2枚使って説明していましたが、「邦人輸送中の米輸送艦の防護」とか「駆け付け警護」なんて、集団的自衛権の本質と何ら関係がないことじゃないですか。あれは、一国の総理がやることではないと思いました。

伊勢﨑:僕もあのパネルを見て愕然として、本を書きました(『日本人は人を殺しに行くのか―戦場からの集団的自衛権入門』〈朝日新書〉)。

伊藤:それに、日本の国家理念を貫くために死んでこいというのなら、よっしゃーって行く奴は幾らでもいると思いますが、どうもあの法制からは、アメリカの匂いがするんです。現場の自衛隊員が嫌だと言っているのも、わかる気がします。


▪️憲法9条はもうもたない

伊勢﨑:これまで話してきたPKOは、はるかアフリカまで出かけて行っての話ですが、日本近海、たとえば尖閣諸島で何かあった場合、どうなるのでしょう。「日本の領海内だから現行法制のまま行ける」という考えもあるでしょうが、あそらへんが、いわゆる係争地であることは間違いなくて、しかも相手は国連五大国のひとつの中国です。敵国であるわれわれとは立場が違う(笑)

フィリピンと中国の例を見ても、今回、国際仲裁裁判所が結審しましたが、強制力はもっていませんし……国際法の限界といえば限界なのですが……、結局は当事者同士の交渉もしくは衝突しかないそういうとき、今の憲法9条のままで、やっていけるのか。非常にむずかしいと思うのです。


伊藤:むずかしいでしょうね。今、あの海域に艦を出港させるにあたって、明確に立場を説明しているのかと言えば、決してそんなことはないだろうと思います。つまり、お前たちはプレゼンスを示すために出て行く。しかし、交戦権はない。しかも、相手は国連5大国の中国ということをきちんと認識させて出しているか。私には、そこをあやふやにして出しているのではと思えてしまいます。

伊勢﨑:東チモールでは、民兵から撃たれた、その時点から「交戦」が始まりました。しかし、日本には「交戦権」がない。9条二項の議論では、自衛隊の問題として「戦力」の否定に目が奪われがちです。でも、「交戦権」の否定の方が重大だと思うんです。なぜなら、常備軍を持たなくても、「戦力」を持たなくても、素手でも「交戦」はできるからです。

「交戦権」。つまり、9条二項の原文のright of belligerencyをネットに打ち込むと、ほとんどが日本国憲法にかかわるものの記事です。そもそも国際法上、「交戦」は、「権利」というより「交戦規定」。歴史的な大戦を経るごとに、「あの殺し方はないよね」みたいな反省のもと、あれはやってはならないとか、こんな武器を使ったらいけない、とかいう言わば軍隊としての行動のネガティブ・リストの集積です。ルールを守って殺しあえという、どちらかというと「権利」より「義務」のニュアンスです。

必要最小限であろうとなかろうと、1発撃てば、それは「交戦」であって、日本流にいう「自衛権」の行使だって、立派な「交戦」なんです。歴代の日本政府が国会答弁の中で定義してきた「自衛権」は、国際法的にはまるで意味がないのです。「交戦」じゃない国家の「武力の行使」はありえないのです。

だって、人類が歴史的にそれを規制しようとしてきた努力の結晶が、戦時国際法/国際人道法なんですから。さもないと、日本の「武力の行使」は、何の規制もされない、野放図な武力となってしまう。逆に危険なんです。

だからこそ、苦し紛れに日本政府は、国家が主語の「武力の行使」と言わず、個々の自衛隊員が主語の「武器の使用」と言ってきたのですが……。つまり、国際法上の過失は、日本では個々の自衛隊員が責任を負う仕組みの法体系しかない。これは、国際社会では、絶対ありえない。これを続けるなら、9条に改良を加えるしかないのです。


伊藤:こういうことが、これだけ複雑になっていること自体が大問題ですよ。現場にしてみると、こういうことはできるだけシンプルにしておかなければ、いざというときに、まったく役に立たなくなります。これだけでなく、日本という国が矛盾の塊のようになっていて、そろそろ整理しなくてはどうにもならなくなっています。

伊勢﨑:憲法9条は、もうもたないと思いますか。

伊藤:誰がみてもおかしいです。

伊勢﨑:歴代の政府は、9条で存在を否定している自衛隊を、13条の幸福追求権で復活させて、あわせ技で、存在してもいいんだと「解釈」してきました。どんな法も「解釈」されるものですが、やっぱりその「解釈」にも限界というものはある。繰り返しますが、「武力の行使」から「交戦」を引いたら=ゼロ、何もないんです。

そういう意味では、ご著書の文中の能登半島沖不審船事件での威嚇射撃、あれ、国際法的には「交戦」ですよ。ただの不審船だったら、あそこまでやらなかったでしょう。日本人を拉致している可能性のある北朝鮮のものと思しき不審船だからやった。国際法真っ青の「先制攻撃」です(笑)。


伊藤:あのときは、艦長の暴走を止めるのに精一杯で、自分たちが「交戦」しているという意識はありませんでした。しかし、頭のどこかに、「始まってしまったんだ」という意識があったことは認めます。歴史の教科書に載ってしまうようなことが、ここでおきているのかも知れないという感じだったです。


▪️警察にも特殊部隊を

伊勢﨑:アメリカが、パキスタンに潜伏していたビン・ラディンを殺害しましたが、あれって暗殺ではなく、アメリカ大統領がその成功を公表し国をあげて祝った軍事作戦なのです。加えて、アフガニスタンだったらともかく、パキスタンはアメリカの「交戦」領域として認識されていない。

まあ、パキスタンへのとんでもない主権侵害なんで、当然オバマさんは、パキスタン民衆の反米意識が高揚するリスク……事実そうなりましたが……をとったのですが、国際社会では「まあ、特殊部隊がやったことですから」みたいな話で片付けられてしまっている(笑)。

そこで、ちょっと考えたのですが、自衛隊じゃなくて警察組織の中に、伊藤さんが創設した特殊部隊を移せないものかと。それならば、日本近海で今まで以上にガンガンやっても平気ですよね。


伊藤:ただ、警察と自衛隊とでは、人間が違うというのもあるんです。警察官は、犯罪を未然に防ぎ、説諭・説得によって投降を促す、という精神が身にしみついているんです。なかなか殲滅というわけにはいかないかもしれません。

伊勢﨑:そのくらいの差であれば、まあ、なんとか訓練の内容を変えて。だめですかね。せっかく陸上自衛隊にも特殊部隊(特殊作戦群)を作ったのですから、これも警察に移す。少なくとも国際社会に対しては「警察力」だと言い張って。そうすれば、何をやっても、形式上、軍事行動ではなくなり、9条問題もクリアできる。漁民を装った武装集団なんかは、警察として、必要であれば殲滅できるのではないですか。

このへんは、僕自身の東チモールのケースや、アメリカのビン・ラディンの殺害にあるように、国際法の運用のグレーなエリアで……これは如何ともしがたいのですが……、逆に、こちらの体制とそのロジックを、何が起きても一貫して説明できる度量と胆力を備えていれば済む話だと思うのですが。


伊藤:法規の解釈に関しては、専門ではありませんが現場とすれば、国が、「これで行くぞ!」というものをきちんと示してさえくれれば、その理屈に多少無理があろうとも、みんななんとかやると思います。ところが、私が現職だったときもそうですし、その後も、国が筋道を通して何かを示したのを見たことがないそれがこの国の特徴でもあるし、そろそろ何とかしなくてはならない問題です。


▪️日本人は流されやすいのか

伊勢﨑:伊藤さんみたいな人が自衛隊には多いのですか?

伊藤:う~ん……私自体があの事件をきっかけに大きく変わりましたから。何が変わったかというと、本気の度合いです。1分後にも出撃が命ぜられ、命のやりとりが開始されるかもしれない。それに備えるために今何をするべきなのか? なんて考えているのはごく一部だと思います。実際に私が見たことがあるのは、陸海の特殊部隊員、空自のスクランブルパイロット、メディック(救難隊員)くらいです。

私で言えば護衛艦に乗って対潜水艦の訓練をしていたときに、心の底からどこかの国の潜水艦と戦闘になる、その時に任務を達成するために今何をすべきか、今の方法でいいのか、他にもっとすべきことがあるのではないのか、と考えていたかというと、そんなことまったく考えていませんでした。決められた訓練の仕方を決められた頻度でこなすということを考えていたに過ぎません。

だからこそ、役所としてはうまくいっていたところもあります。ところが、特別警備隊ができてから、本気でどうしたらいいかを考え、意見を言う連中が増えちゃいました。上からすると、面倒な奴が増えたという一面もあるんです。

伊勢﨑:みんな、そんなに本気じゃないのですか?

伊藤:何人かの将官は真面目に私たちのマインドを広めていこうと考えていたと思いますが、そうではない勢力もあったと思います。面白いのは、真面目な人は陸自に多いんですね。海自と空自は領海、領空を守っているので、敵を見ているんです。その切実さを知っているはずなのに、慣れてしまって、「どうせなんとかなるんだよなあ」と、真面目さを失ってしまう。

陸自は、PKOには出ていますが、それほど殺意をもった敵を見る経験がないんです。それが逆に、こういう問題を真面目に考えているんですね。

伊勢﨑:能登半島沖不審船事件で、「みょうこう」の若い乗組員が、死を覚悟するあたりを読むと、海自の隊員はきわめて真面目に考えているようにも思えますが。

伊藤:彼らこそ普通の若者だったんです。宝くじやパチンコの話しかしない(笑)。それがわずか10分で一気に変わったわけです。そこが私には心配なんです。それまで自分が戦死するなんて考えたことがない人間が、あっという間に「私は死にますから、あとはよろしく頼みます」と言えてしまう。それが日本人なんですね。

言い換えると、自分のポリシー、

考えよりも、大勢の流れに身を置く

ことを重んじてしまう。自分の命

さえそこへ委ねてしまいます。


伊勢﨑:それは、大義が時間をかけて醸成されなくても、死ねちゃうという。日本人らしい。

伊藤:これは今に始まったことではなく、学徒出陣で特攻に志願した先輩たちもそうではなかったかと思います。遺書を読むと、けっして戦争に向いている人たちではないんですね。それでも、仲間がみんな行くというのに、自分だけ断るわけにはいかないとか、故郷の親が肩身の狭い思いをするとか、そういう理由で命を投げ出したように思えます。これは悲劇でしょう。

日本では、普通の人、ちゃんとした人に限って、コントロールしやすいのだと思う。だから、上に立つ人間が間違えると、たいへんな悲劇になるのです。


▪️9条があるから戦争がなかった、は大間違い

伊勢﨑:だから、自衛隊はきちんと憲法で位置付けなくてはいけないというのは、説得力がありますね。護憲派に対しても。

伊藤:今の憲法は、生い立ちに問題があることは間違いないんですから、少なくとも出し直すということは必要ですよね。極論を言えば、議論をした結果、内容的にはすばらしいものなので、一字一句変えないとしても、出し直す必要性はあると思います。書かれている内容以前に、とにかく、英語の直訳だとか、押し付けだとか言われてるものをそのまま放置しておくということが大問題であり、おかしなものを、おかしなまま放置しておくという姿勢について、ちゃんと考えてみるべきだと思います。

伊勢﨑:「9条のおかげで日本は戦争をしないですんだ」みたいなのは、単なる事実誤認ですからね。僕は今、「新9条論」というのを言い始めています。(護憲派の側からこそ、戦争をさせないための改憲案を。これが僕の考える「新9条案」です。ー伊勢崎賢治 )

戦後、9条の下でも「戦争」……自民党小泉政権そして民主党政権でも特措法でやってきた集団的自衛権の行使です……をやってきた日本。

通常戦力で世界5強に入った軍事大国としての日本。

そして、世界で最も戦争するアメリカを体内に置き続ける……それも、ドイツ、イタリア旧敗戦国は米軍基地もしくは空域の管理主権を回復しているのに、まったく変わらない唯一の地位協定を維持し続ける日本。

もう、9条の「解釈」は限界にきているし、この現実を純粋な9条の解釈に戻す政治力は、もう生まれない……。ならば、という気持ちでです。



▪️国として、何を目指すのか

伊藤:憲法改正については、私は、憲法は漫画でもいいし、読みにくい文語でもいい、とにかく国として何がしたいのかがはっきり示されていればいいと思います。国家理念さえはっきりすれば、日本のお役所は文章を作るのだけは非常に上手ですから(笑)、自然にシンプルでいいものができると思う。

ただ、そのときに、私たち日本人が大切にしていることは70年前と断絶しているのか、それとも続いているのか、そこだけははっきりさせてほしいですね。日本人が善とするもの、悪とするものが70年前と変わったのか、そうではないのか。それをはっきりさせてほしいと私は考えています。

もし、終戦時に国家の理念が変わったのだとしたら、国旗や国歌も変えるべきでした。国家の理念を変えるってことは革命と呼ぶべきものなのかもしれません。国が変わるってことでしょ、それをやらなかったのはなぜか。うやむやにせずに、そこをはっきりさせてほしいのです。

伊勢﨑:それは憲法で示すべきものなのか、私はよくわかりません。

個人の大義を後付でもいいから国家が後押しする必要性を言いました。一方では、こんなこともあるんですね。アフガニスタンやイラクは軍事作戦も占領政策も、アメリカにとって完全な失敗だったわけですが、アメリカの一般の兵士の集まりなんか行くと、上官から言われたことをそのまま言っているのでしょうが、「民主主義のため」とか「自由のため」といった言葉がおうむ返しのように返ってきます。アメリカは非常にシンプルな形で、国家の理念を示しているからです。しかし、それは、結果的に、失敗で、間違っているんですね。これをどう考えるか。


伊藤:間違ってますけど、示すものがなにもないよりはマシではないでしょうか。ちょっとくらい怪しくてもいいから示すべきだと私は考えています。それもしないで、人殺しをしてこいというのは、あまりにおかしな話です。

私はシビリアンコントロールを否定するつもりもありませんし、政治家すべてを信用していないわけでもありません。ただ、これから死んでこいと命令するのなら、納得のいく説明をするのが、最低限の〝礼儀〟だと思っています。今の日本にはそれすらないのですから。

伊勢﨑:礼儀というのはいい言葉ですね。それなら納得できます。


伊藤祐靖(いとう すけやす)1964年東京都出身、茨城県育ち。日本体育大学から海上自衛隊へ。防衛大学校指導教官、「たちかぜ」砲術長を経て、「みょうこう」航海長在任中の1999年に能登半島沖不審船事件を体験。これをきっかけに自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊の「特別警備隊」の創設に関わる。42歳の時、2等海佐で退官。以後、ミンダナオ島に拠点を移し、日本を含む各国警察、軍隊に指導を行う。現在は日本の警備会社等のアドバイザーを務めるかたわら、私塾を開いて、現役自衛官らに自らの知識、技術、経験を伝えている。著書に『国のために死ねるか―自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』(文春新書)、『とっさのときにすぐ護れる―女性のための護身術』(講談社)がある。


伊勢﨑賢治(いせざき けんじ)1957年東京都出身。早稲田大学理工学部建築学科卒業。早大大学院理工学研究科入学(都市計画)。在学中、インド国立ボンベイ大学大学院社会科学研究科(ソーシャルワーク)に留学。留学中、インドのスラムに住み込み、コミュニティ・オーガナイザイーとして活動。ボンベイ市から国外退去命令を受ける。国際NGO「プラン・インターナショナル」に入り、シエラレオネ、ケニア、エチオピアなどで農村総合開発を指揮。その後、国際連合職員、笹川平和財団などを経て、2000年3月から2001年5月まで国連東ティモール暫定統治機構上級民政官。2001年6月から2002年3月まで国連シエラレオネ派遣団国連事務総長副特別代表上級顧問兼DDR(武装解除・動員解除・社会復帰)部長。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授時代の2003年2月から2005年7月まで、日本政府の特別顧問としてアフガニスタンでの軍閥のDDRを指揮。2006年から東京外国語大学教授。「自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会」呼びかけ人。近著に『日本人は人を殺しに行くのか―戦場からの集団的自衛権入門』(NHK出版新書)、『本当の戦争の話をしよう―世界の「対立」を仕切る』(朝日出版社)『新国防論―9条もアメリカも日本を守れない』(毎日新聞出版)


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テーマ:軍事・安全保障・国防・戦争 - ジャンル:政治・経済

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