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Yoko's 人生=旅 on this Blue Planet
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小林圭二さん死去 社会と学問つなぐ  小出裕章     【新聞うずみ火・7月号】
小林圭二さん死去 社会と学問つなぐ


 小出裕章 【新聞うずみ火・7月号】


 原子力の安全性を問い続けてきた京大原子炉実験所(現京大複合原子力科学研究所)の研究者たち「熊取6人組」の一人、小林圭二さんが5月幻目、すい臓がんなどのため亡くなった。加歳だった。同じ6人組の小出裕章さんの追悼文を紹介する。


 今から45年前の1974年4月、私は京都大学原子炉実験所助手に採用され、赴任した。その時、原子炉実験所には、海老澤徹さん、小林圭二さん、瀬尾健さん、川野真治さんの4人がいて、前年秋に始まった四国電力伊方原子力発電所の設置許可取消訴訟に専門家として関わっていた。私もその仲間に入って、活動を始めた。2年後に今中哲二さんが原子炉実験所に赴任し、いわゆる熊取6人組の仲間がそろった。この6人は学問上の専攻も多様だったし、何よりも個性が多様だった。それでも、原子力発電をやめさせる一点で一致し、それぞれの個性を生かして連帯した。


 小林圭二さんはコバケイさんと愛称で呼ばれてきたが、彼は原子炉工学の専門家として、伊方訴訟に関わったし、それ以上に、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」廃炉にするために身を粉にして働いた。彼がいてくれなければ、もんじゅを廃炉に追い込むのに、もっともっと長い時間が必要だったであろう。学者は普通、自分が専攻している学問と、社会的活動を切り離し、学問の世界は自分が閉じこもることのできる場として常に別に持っていた。しかし、コバケイさんは、自分が専攻する学問を常に社会との関連の中でとらえ、閉じた学問の場にこもることがなかった。私からすると、とてもありがたい仲間だった。




 そのコバケイさんも逝ってしまった。私は定年退職後、長野県松本市に移住したため、なかなかコバケイさんのお見舞いに行くことができなかった。でも、彼が亡くなる10日ほど前にお見舞いに行った。
コバケイさんが、鮫子と焼きそばを食べたいと言っていたと聞いていたので、私は果物などのほか、鮫子を持って行った。でも、コバケイさんは、今は鮫子は食べない方がいいと、自分の身体の状態をしっかりと把握していた。


 私がコバケイさんの見舞いに行くのは、いつもは何らかの仕事で関西に行く時であったが、その日は仕事とは無関係だった。そのことをコバケイさんに伝えたところ、「小出さんも時間に余裕ができたようでよかった」と私を気遣ってくれた。これだけ元気であれば、まだ何回かは会えるだろうと思っていたし、彼を外に連れ出し、鮫子と焼きそばを食べながらビールを飲める日が来ればいいと思っていた。でも、彼は急に逝ってしまった。


 命ある者、死は必然である。死は悲しむものではなく、単にそのまま受け止めるべきものと思う。逝く前の彼に会い、元気に会話を交わせたことも、私にとって幸いであった。彼の死を悲しむのではなく、彼がいてくれたことに感謝したい。彼の人懐っこい笑顔を脳裏に刻んで、私は私らしく生きようと思う。
(小出裕章)




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テーマ:研究者の生活 - ジャンル:学問・文化・芸術

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