Yoko's 人生=旅 on this Blue Planet
高速回転中の青い惑星地球、負けじと走り回る一人の記録。
水戸巌氏講演記録 3)「原発の事故解析と災害評価」 1983.7.8
**<水戸巌先生「原発の事故解析と災害評価」:広島、ビキニ、原発と死の灰;廃棄物管理専門家と云う「聖職者」集団の独裁;広島原爆1000倍の死の灰を持つ東海原発;運転員が人為的に冷却材喪失事故を起こせる;もっての他の事故隠し;原発建設は世界的にダウン;東海原発の人口密度は世界一;原子炉設置許可と「残留リスク」;原子炉設置許可処分取り消し裁判の困難性;石油に代替えできない原子力;原子力がなくてすむ生活のありかた>の見出しがついた水戸巌先生の講演録。1983年の話で間もなく30年になるが、今、我々が直面している問題と何ら変わらない。当時すでに原発の発電コストは、原子炉前後のコストを考えると、火力発電より高くなっていた模様。そして隠され続けた危険性。
  茨城県人としては東海村の二人の作業員が多量被爆して壮絶な闘いの末亡くなられた事故を忘れる事はできない。彼らには核物質の危険性についての適切な現場教育がされていなかった。
  東海村の村長さんの怒り、そして被爆された住民の方々。しかしそれがどの程度全国的な体験として共有されたのか、今となれば、非常に不確かだ。かなりの数の文化人が原発のPRにかり出されていた。ご本人たちも実情を十分に把握していなかったのかも知れないが、大きな力の前に原発と大量に出るその廃棄物の危険性についての正当な報道もされず、皆、何となく丸め込まれてきた。
  今もまた同じような動きがある。一人一人が多角的に情報を拾い、自分で考え、生まれ育った土地に住めなくなると云う事がどんな事か、自分の事として内面化しなくてはならない。カリフォルニア州よりも小さな日本の国土、もう一基、原子炉が制御不可能になり暴走を始めれば、安心して食物を育て食べ生活できる場所は、本当にどこにも無くなってしまう。これ以上、悲劇を繰り返してはいけない。**


「原発の危険と云うのには二通りありますね。事故が現実に起こるかも知れないと云う危険、それから何十万年にも渡って毒物を子孫に残すと云う危険。何十万年にも渡って人間はその毒物を管理し続け、管理に手落ちが無いと云う事になるかも知れないが、それによって我々が管理され抑圧されると云う事に必ずなる。そう云う管理のパターンと云う物は避けたい。今だってもうできちゃってますけれども、今よりも更に10倍も増えると云う事を、今直ぐにでもくい止めなければならない。そう云う意味で、これからの10年、20年、せいぜい長くて50年、その間、少しの楽をするために、毒物を作り出してしまうと云う事は我々は避けようではないかと、そういうふうに僕は思っているのです。」~水戸巌


3)原発の事故解析と災害評価-1983年7月8日講演-

広島、ビキニ、原発と死の灰

私は水戸には何回か来て話をしておりますが、10年越しとなった東海原発裁判の、今証言の準備をしていまして、今日の話はその証言にかかわることにも触れてみたいと思います。
原発が危険であるということは、これはもう物理学とか、そういう分野の人にとってはごく常識です。原発を推進している人もそれは否定できない。さて広島に原爆が投下された時、破裂と同時にそこからものすごい熱と光が出、爆風が起こり、そのため、真黒に焦げたり焼けたりし、建物が倒潰し、また瞬間的に出てきた中性子という放射能によって火傷して20万人の人が死んだわけですが、仮りに熱線や爆風がなく中性子線だけでも大分殺されていただろうといわれています。それ以外に死の灰がある。翌日、広島へ来た人は、雨に、いわゆる黒い雨ですね、死の灰を含んだ雨にぬれて原爆症につぎつぎに縫って、死んでいっています。井伏鱒二という立派な作家が『黒い雨』という小説を書きましたが、これは自分の姪が原爆投下の翌日、広島へ出かけて行って黒い雨に当ったために亡くなってしまったことを題材にしている。それが死の灰の問題です。
それから、ビキニの原爆実験が行なわれて、その時には雪みたいに白いものが降ってきた。その白いのはビキニのサンゴ礁のカケラだったんですが、それに沢山の死の灰がついていた。その灰をかぶった日本の漁民の1人が死ぬという事件が起きたわけです。日本人だけじゃなくて実は、あの辺の島に住んでいた多くの人、退避させられた人もいましたが、300人近い人々がこの死の灰をもろに浴びてしまった。そのために非常に多くの人が原爆症になり、特に妊婦の方はほとんど全員流産してしまい、子供は全部甲状腺障害にかかり、それから多くの人がその後にガンなどで死んでいった。ビキニの人々がそういう被害を受けたということはご存じだろうと思います。
原爆がまき散らすこの死の灰が、原発でも、原子炉のなかでも作られます。ウラン235が核分裂を起こして、そこからエネルギーが出る、一方こわれた原子核からはいろんな放射能、放射線が出てくる。それが死の灰なんです。その大部分は非常に短時間で放射線を出して安定した状態になってしまうんですが、なかには非常に長い半減期、長い間「興奮」状態にあって放射線を出し続けるものがあります。死の灰のなかで半減期の長いものにセシウムというのがあって、半減期は30年位。30年たってようやく半分になる。60年たって4分の1、90年で8分の1、なかなか減らない。だからこういうものが無害になるにはまあ、100年~200年かかると考えなくではならない。それが死の灰なんですが、実はもっと厄介なプルトニウムというのが出来るんです。それは2万4000年という半減期を持っている。こういうものが無害になるには数十万年かかる、量が沢山あれば本当にもう安全になるまでには100万年ぐらいかかっちゃう、そういう厄介な放射能です。
廃棄物管理専門家という「聖職者」集団の独裁?

最近、こういう原子炉から出てくる放射能を含んだ廃棄物をどう捨てるかということで、海へ捨てようということになりましたが、南太平洋の島々の人々がとんでもないことだ、そんなに安全だというなら自分の回のそばへ捨てたらいいだろうと主張する。島々の人たちは魚を常食としていますからそんなもの近海に捨てられたら、自分達がビキニの二の舞になると反対して、うまくいかない。それで今度は当分の間、ドラム缶をそのまま陸地に積んでおこうじゃないか、ということになったと新聞に出てました。だけどこれはどんどん数が増える一方で、近い将来に百数十万本になるだろうということです。これは原発が運転し続ける限りたまっていく。しかも、これは一番楽な、つまり低レベル放射能の廃棄物です。それよりももっと高レベルの放射性廃棄物、これはどこから出てくるかというと、やはり東海村の再処理工場から出てきますが、今お話したようなものではない半減期の長い、想像もできないような永遠といってもいいような長い年月、絶対に環境に漏れ出ないように閉じ込めておかなければならない種類のものですね。再処理工場からはそういうものが出てくるんです。これをどうするかということについては、何年度までにはこういうことをやってみようという試験の手順だけを文章化されているのが一体どうしたらいいかということは全然決まっていない。多分最終的にはうまい方法はなくて、人間が永久に厳重に監視し続けることになる。少量ならいいんですよね。税金で、特別のお役人を使って年がら年中それを見張って、ドラム缶がこわれたら本当に死ぬ思いで補修作業を全部その人がやる、つまり他の仕事しないで放射性廃棄物については全部責任を負う、そういう専門職をつくって管理するということはできるかも知れない。しかし、世界中の再処理工場がどんどん動き出して、廃棄物の量が大量になったらどうするか。専門家集団が多数必要になる。その専門家集団が廃棄物を管理するかわりに彼らの言うことを地球上の人が何でも間かなければならなくなる。聞かないと俺はこの廃棄物の面倒見ないとおこり出しちゃう、管理から手を引くと言ったら地球上の人たちは危険にさらされますから、結局、彼らの言うことを何でも聞くというわけです。これはワインバーズという人が言ってるんです。放射性廃棄物を監視するための専門家集団が必要になり、それはローマカトリックでいう聖職者と化すということです。
原発が一体どの位の期間動き続けるかということですが、勿論私は今すぐやめるべきだと考えていますが、不幸にしてそれは通らない。強引に原発が建設され、世界中で動き出すという事態になって何年位続くかということですが、これは長くて50年位だろうと思います。そっから先はもうこんなものは使わない、というふうに言われています。それにはいろんな要因があります。コストの問題とか、あるいはその前にいろんな事故が起こってしまうかも知れませんが、それは一応考えないことにして、今のべた廃棄物の問題があるし、あるいはその間には太陽エネルギーの開発とかがなされるということもありましょうから、せいぜい50年位だろうと思います。たった50年間、人類が原発を使った、そのために数十万年にわたってそれを監視しなければならない人々が、しかも膨大な人々が必要になる。しかもその人々が場合によっては権力をふるう、ある意味では大変な武器を持っているのと同じなのですから。ワインバーズという人は推進側の人ですよ。人類はファーストの取引きをした。原子力エネルギーと引き替えに放射性廃棄物を受けとるという約束をした。そういうことを言っているんですね。


広島原爆1000倍の死の灰をもつ東海原発

さて、話を戻しまして広島の原爆ではこの死の灰がどの位存在したかといいますと、手のひらにのる程度です。500グラム位のウラン235が炸裂しまして、20万人もの人が亡くなってしまった。その時に出来た死の灰は500グラムからせいぜい多くても1キログラムです。それが、東海村の2号炉の中には1トン入っている。約1000倍ですね。原爆投下のあとにもう広島には住めないといった連中がいるが、そんなことないじゃないか、30年足らずで、いや10年もしないうちに広島は復興ししたじゃないか、だからまた何いってるかわからんとおっしゃる方がいるかも知れませんが規模が違うんですね。1000倍入ってるんです。その1%だけがばら撒かれたとして、広島原爆の10倍の死の灰がまかれたことになる。
私はこの3月の証言の中で、私の試算をお話したのですが、例えば東京方面に風が吹いてこの死の灰が降ることによって、どういうことが起こるかということを話したんです。天候など変化するファクターが多いですが、そのうちで全然変らない、必ずそうなるというものはこの辺が住めなくなってしまうということなんですね。さっき言いましたセシウム137は半減期が30年、つまり無害になるには少なくとも100年以上たたないとダメというような放射能が雲と一緒にこの辺を過ぎていくとしますと、その通り道は人が住めなくなってしまう。雲が高く舞い上がったとすると、今度はかなり広範囲にわたってそういう場所が作られるし、比較的雲が低くかったとすると、範囲は狭いが非常に濃厚なセシウムに汚染されてしまう。その幅は水戸あたりで4キロ位でずっと住めない地帯ができる。現在、大勢の人達が住んでる所が死の灰で住居不能となってしまうわけです。そのために何万人もの人が退避しなければならなくなる。汚染の帯はずっと東京まで続き、東京23区全部が住めなくなるような事態になります。
つぎに人はどの位死ぬか。これは天候をどうとるかによってものすごく変わります。場合によっては一人も死なないかも知れない。私の計算では東海、勝田、水戸までで、最悪の場合5万人位の人が死ぬ。これは即死並びに一週間位の間に原爆症の症状を呈して亡くなるだろう。それからもっとあとになって、ガンなどを発病して亡くなる人が数万人発生するだろう、これは要するに死の灰だけの影響なんです。原子炉から飛びだした死の灰が放射能雲となって風の間に間にただよって来たというだけでそういうことが起きてしまうということなんです。


運転員が人為的に冷却材喪失事故を起せる

じゃ、どういう具合にして、死の灰が飛び出るかという疑問を皆さんは持たれるかも知れません。例えば、スリーマイル島事故の時にいろんな事をお聞きになったことと思いますが、冷却材、原子炉を絶えず冷やしている水がなくなっちゃう、そうするとどういうことが起こるかと言いますと、燃料棒が溶けてしまいます。燃料はどの位あるかと申しますと、100トンから120、130トン位。それが全部溶けてしまいます。それから燃料棒を包んでいる圧力容器が溶ける。そのことによって死の灰が外に出てくるんですね。溶けるのはどういう熱で溶けるのかというと、死の灰が出す熱なんです。死の灰は放射能を持つ熱なんです。放射能はそれ自体が熱にも変わるんです。その熱によって燃料棒も圧力容器も十分溶けてしまうことがわかっています。だからそれが溶けないようにいろんな装置がついているんです。注意していただきたいのは、普通の運転状態のあとで原子炉が止まったとしても、死の灰が出す熱だけでそうなるということですね。
火力発電所の場合とは全く違います。火発でもいろいろ事故が起きます。だけどその時は重油なり、燃料をたってしまえばあとはどうってことないわけです。原子炉の場合は制御棒という核分裂反応を止める装置がついてまして、それを一斉に全部挿入すると原子炉は止まります。しかし、運転が止まってもなお死の灰のもっている熱で燃料棒が溶けちゃうんです。そこが違う所です。これは勿論、原子力推進側の人も全部知ってます。だから原発は大変危険なんだということをこの人達も知っているわけなんですね。
ところで、今度の証言の準備でいろいろ調べてみると、今まで冷却材が何らかの原因で全部失われてしまうということ、これはそう簡単には起こらないように思われますが実は簡単に起こるんですね。1つはパイプが割れてそこから水が出てしまうことなんですが、そういうことはほとんどないと推進側の人はいいますけれど、仮にいう通りだとしても、それと同じ結果は水を止めちゃえばいいんですね。水を止めちゃうと10分かからないで原子炉の水は全部蒸発してしまいます。水を止めるのにはどうするか。これは誰かが止めれば止まる。
この間、日航機の逆噴射事件っていうのがありましたが、機長さんが急に世の中いやになったんでしょうね。勿論自分が死ぬことを覚悟の上でそういうことをやったわけですが。つまり運転員の1人か2人が、少しでかいことをやってやれっていうような気持ちになって、ちょっと操作すれば簡単に原子炉の事故を起こすことができるわけです。絶対にそういうことができない装置であればそれこそ安全だと言えるかも知れませんが、そうはなっていない。人間が人為的に事故を起こそうとすれば事故は起こるということです。その場合飛行機の事故も大事故だが、原発はもっと恐しい。ですからあの日航機事故で、ものすごく恐怖感を感じたのは原発関係者だったろうと僕は思います。一度起こったことはあり得ることですから。飛行機を運転している人はものすごいストレスがかかっているのでしょうけれども、原発の運転者も同様です。そういうことで、給水を止めてしまうというようなことが起こり得ないとは全く断言できない。


スクラム失敗事故が恐い

冷却材がなくなる事故というのは大変恐ろしい事故だといわれてきましたし、私もそう思っておりました。ところが、最近調べていてわかったのですが、アメリカの原子力規制局が、それ以上に恐しがっている事故があるんです。これはもう5年位前から気にしていたんですね。どういう事故かっていうと、制御棒を一斉に入れて原子炉をストップさせることをスクラムといいますが、その制御棒が入らないという事故です。この方がむしろ、冷却材喪失事故よりも頻度が高く起こり得る。従来、スクラム失敗の確率を、原子炉製造業者のゼネラルエレクトリック社とかウエスチングハウス社は10億回に1回ぐらいだといっていたんです。ところがよくよく調べてみますと、確率は1万分の1位だと考えられるようになった。そうしている所にまたアメリカの原発でテスト中にスクラム失敗が起きてしまった。それで、1000回に1回は起こると。
ところで、スクラム、非常停止装置はどういう時に必要になるかというと、要するに異常事象が起こった時ですが、これはしょっちゅう起こっているわけです。アメリカの沸騰水型原子炉の場合、スクラムが必要になる異常事象は、原子炉1基につき1年に8回起きているんです。仮にアメリカで100基の原発が動いているとすると、3年に1回位は本当に大きな事故が起こる勘定になります。緊急停止装置が働かなければならないのにそれが働かない、そのために起こる事故が3年に1回位起きてしまう、というので緊急停止装置の改造を提言したわけです。日本ではまだそれをやっていないんです。アメリカ原子力規制局は実際にこの改造をやらない限り、原子炉を止める。BWR、つまり東海村の原子炉と同型のものは緊急停止装置の改造を行なわない限り運転を認めないという、ものすごい強行な態度をとったんです。これは原子力産業界が猛烈な反対をして、政治家に圧力かけてその実行を不能にさせてしまったんですが。
東海村の原子炉は緊急停止装置の改造をやっていません。だから3年に1回の確率でスクラム失敗の事故が起こるという事態がそのままあるということです。日本の原子力安全委員会はこの問題には頬かぶりしていますね。ですから、今までは事故というと冷却材喪失事故だったんですが、この緊急停止装置が必要とされるような事態が起こる可能性がもっと高いわけです。実はスリーマイル島原発事故っていうのは、緊急停止装置が必要な過渡現象の1つから発展したものなんです。あの場合は緊急停止装置は働きました。しかし他の故障、つまり水と蒸気が洩れてしまうという故障があったためにあんな事故になってしまったんですね。


もっての他の事故隠し

ですから緊急停止が必要な過渡現象というのはしょっちゅう起こっているんです。1年に1基あたり8回もアメリカでは起こっている。日本はどうか。これが不思議なんですよね、1回も起こってないんです。アメリカの原子炉をそのままもってきている日本で、私はそういうことはないと思うんです。運転員は多分、日本人の方が優秀なのかもしれませんが、技術が優秀だというだけで、アメリカで8回も起こっていることが起こらないはずはない。私のみた統計では起こっても1年に1回か2年に1回ぐらいですね。私は、これは事故の報告をしていないからだというふうに確信しています。それは、今までに何回も事故隠しというようなこともやっているからなんです。
皆さんもご存じのように随分前ですが、美浜の原子炉で燃料棒が折損した、しかも運転中に燃料棒が何センチにもわたって割れ、破片が落っこって炉の中で多分ぐるぐる回っていたという恐るべき事故がありました。会社はこれを3年間にわたって隠し続けたんですね。それが内部告発で暴露されたんですが、その時会社側が何ていったかというと、使用済燃料を引きあげた時にどこかにぶつかって破損したと。もしほんとにそうだったら、もっと大変だったわけですね、運転員の人たちはセシウムだとかその他の放射能を浴びて、多分死亡事故が起こったと思うんです。そういう、嘘だということがすぐバレてしまうような嘘しか考えつかない人たちが、今の日本の原子炉を運転しているんです。勿論、あとの事故調査でそんなことはなくて、他の原因だということがわかったわけなんですが、ともかく3年間ひた隠しに隠したんですね。で、それが明らかになってからも、日本の通産者は何もしませんでした。運転停止を命ずるのが当然です。アメリカだったら勿論やられてますね。ところが、日本では時効だというんです。
それから敦賀の事故です。つい最近起こった、大量の放射能を漏洩させた事故ですね、これも報告しないでほっておいて、外部からわかったんですね。こういうふうに事故隠しをずっとやっているんです。
過渡現象も本来報告すべき事故なんです。だけどそれがほとんど報告されていないんです。つまり隠されているということです。私はこういうことはものすごく恐しいことだと思う。むしろ、アメリカのように公表すれば、正直に発表されれば、その方が本当に事故を少なくしようとするための努力ができますからその方がいいと思います。隠し続けるというのは本当に危い。


原発建設は世界的にダウン

他にももっと恐しい事故、しかし確率はこれよりも小さいだろうと考えられる事故もありますけれども、とにかく恐しいのはこの2つです。冷却材喪失事故とスクラム失敗事故。この両方ともが東京まで死の灰が行くような大きな災害をひき起こす可能性があるということになります。
さて、スリーマイル島原発事故のあと、アメリカではもう原発はだめだということで、GE社では新規の開発をやめてしまう。圏内では原子炉は売れないということでやめてしまった。勿論、事故原発を製造した会社のそれは全然売れなくなってしまった。WH社もだいたいもうおしまいだということで、あのタカ派のレーガンになっても電力会社の方が原発を敬遠している。レーガンになって原発推進政策は多少息をふきかえしてきたんですが、電力会社の方がイヤだということで、アメリカの原発熱は完全に下火下北欧三国は以前から比較的抑制的で、ぎりぎりの所でしかやらないというやり方をしています。西ドイツでは政府が強行しようとしているけれども、住民運動がすごく盛んで、日本よりはずっと遅いんですが原発に批判的な運動が起こったのは。しかしこの数年間、ものすごい勢いで起こってきた、1つの集会に20万人とか30万人とかが動員されている。反原発ということだけで、緑の党のような政党が国民の支持を得て、議会に大きな勢力をしめるようになっています。
ですから、ヨーロッパも多分フランス一国を除いては、原発は非常に抑制されている。相変らず推進派が意気軒昂で住民も10万人なんて規模では反対運動はしないのは日本だけではないでしょうか。フランスも若干それに近い所もあるんですが、日本だけです。日本は今やアメリカについで第2の原発所有国になるといわれています。再処理工場は意気だけが盛んで技術が伴わないから、今はぽしゃっちゃっていますが、数倍の規模の民間再処理工場を作るべくいろんな策を練っている。私はこれはものすごく異常なことだと思いますね。


東海原発の人口密度は世界一

アメリカは広い国で、人口密度は普通に人が住んでいる所での平均で、1k㎡あたり40人位です。ところが東海村は1k㎡あたり800人。水戸は2000人~3000人です。東海村の800人というのは海の方まで全部とってならしたって400人です。アメリカの常識でいったら原発の建てられる人口密度っていうのは1k㎡あたり40人ぐらい。その十倍にもなる。アメリカの基準でいって、ここに原発を作ってもいいなんて所は日本中どこをさがしたってない。で、アメリカはこの人口密度に非常に着目しまして、ある一定の距離以内の所には建てさせないとてさせないという方針を、これは法律で規定しているのではなく、実際の行政指導でずっと実行してきているんです。その中で一番人口密度の高いのはインディアンポイント原発、これはニューヨークの比較的そばに1つのサイトがあったんです。東海村の原発はまさにこれと同じ、そしてやや多めの人口密度です。ですから世界で一番人口密度の高い所にあるのが東海村の原発です。インディアンポイントの原発は82万キロワット、東海のは110万キロワットです。


原子炉設置許可と「残留リスク」

アメリカの原子力規制委員会は最近、「残留リスク」ということばを使うようになっています。それはどういう意味かと言いますと、原子炉を設置する場合にはある一定の範囲の事故を想定します。その事故が起きた場合、周辺住民には絶対被害を与えない、与えたとしても非常にわずかである、そういう場合にだけ原子炉の設置を許可するというふうになっていまして、ある一定限度の事故想定を必ずやっているんですね。それを設計基準事故といいますが、日本では重大事故とか仮想事故とか呼んでいます。それ以上の事故は設計上は起きないとされている。原子力安全審査会の委員の先生達は、それ以上の事故は起きないと仮定していいんだとおっしゃる。しかし本当に起きないかというとそんなことはない。人間が作ったものだから絶対ないということはあり得ない。従って起こるかも知れない、しかしそれをいちいち問題にしていたら産業社会は成り立たない。だからそれは許容されるんだと。万が一起きちゃったらそれは天災と同じで、住民もがまんしなくちゃいけないんだというわけです。つまり、設計基準事故以上の事故は絶対に起きないとはいえない、工学的施設である以上絶対に起きないとはいえない。しかしそれ以上の事故は免責されると。設計者も事業主も免責されると。その免責を認めなかったら産業社会は成り立たないというわけなんですね。
しかしですね、原子炉以外にそういう施設があるかっていえば、ないんですね。確かに新幹線が正面衝突する、これは起こり得ませんけれど、前に止まっている列車にドーンとぶつかったら、ひょっとしたら1000人位死ぬかも知れない。それでも1000人です。原子炉の災害の場合、アメリカのいろんな計算で最悪の場合は20万人に達するとみられますから、新幹線の比ではないですね。これはもう戦争と同じです。
それで、アメリカの最近の原子炉規制の考え方は、この設計基準事故以上の事故を考慮に入れなくちゃいけない。確率は非常に小さいかも知れないが、そういう事故は起こり得ると考えて、その上でその災害をなるべく小さくさくするようにしなけれどならない、とこうなってきているわけです。そのためには人口密度の高い所には原発を建ててはいけないんだと、こういう考え方なんですね。ところが、日本の原子力安全委員会はまだ、昔の考え方を固執しています。設計基準事故を考えればそれでいいんだと、それ以上の事故については一切考える必要はない、といっております。
竹村健ーという無責任な人がいます。あの人は、原発反対の運動をしている人達が「そんなに安全だったら新宿に建てたらいいじゃないか」といったのに対して、「あゝ、建てていいんだ。が、地価が高いから建てられないんだ」 と言ったらしいですけど、まあ、要するに無責任で、原子力のゲの字も知らない人です。下劣な男です。ああいうのが大きな顔をして、それを歓迎する社会や国とかいうのは僕は非常にみじめだと思います。もっとも新宿にでも建てられるというのは、設計基準事故だけを考えればということになるのかも知れませんが、しかし残留リスクという考え方を入れたらもう、新宿には建てられないし、やっぱり腹の底では危ないと思っていますから例え土地が安くても建てないでしょう。
それで残留リスクという考え方からいくと、世界で最も多く残留リスクを受けるのが勝田市や日立市、水戸市の住民です。それだけではないんです。東海2号炉は110万キロワットという世界最大規模の原発ですが、それが世界で最も人口密度の高い場所に建てられている。そればかりではなく、再処理工場もある。再処理工場の災害評価は、西ドイツなどでは行なわれていますが、これは原発のさらに10倍も上回わるだろうといわれています。再処理工場には原発の何基分もの恐しい放射能が集積している。もし、火災事故が起きたり、それ自身のもっている熱によって事故が起こったとしたら、原発をはるかに上回る事故となるんです。


原子炉設置許可処分取消裁判の困難性

私はそういうことから、ここの東海裁判は、他の裁判と比較することは不謹慎ですが、他の裁判が例え負けたとしても、東海裁判だけは負けではならないというようにずっと考えていました。東海サイトは他の日本のどの原発サイトとも比較できないし、世界のどこと比較しでもこれ程無謀な計画はないわけです。ですから、ここで何かを裁判長に言わせなくちゃならない。こういう行政裁判で、しかも現実に被害がみえていない場で勝つということは日本では今まで一度もありません。西ドイツはかなり勝ってるんですね。例えば、放射性廃棄物の問題で、その処分方法が確定できない以上、原発の建設はやってはいけない、あるいはその安全問題が解決されていされていないとして差し止め訴訟に勝った例があるんです。日本ではこういう例は一件もありません。そういう中で勝つというのは、これはものすごく小さな確率だと思います。しかし、例え負けても、判決文の中で何かを引き出さなくちゃいけないだろう。何らかの形で我々の主張が生かされている箇所を引き出さなくちゃいけない、何かこう弱気な話ですが、そう考えています。勝つということは素晴しいことですが、日本の裁判所のやり方を見ていれば、それはなかなか大変だなあというのが率直のところです。


石油に代替できない原子力

先程も申しましたように,フランスと日本を除いて他の国々では原発建設の伸びが止まってしまっている。その最大の理由が、ひところ騒がれた石油が足りないとか、石油がなくなるとかいう話がどこかへ消えてしまって、むしろ石油があり余っているということがわかったからといわれていますけれども、根本的にもっと問題があると思うんですね。それは単に石油が安くなったために、原発のコストが石油に較べて安いとはいえなくなってしまった、つまり経済性の神話が崩れてしまった、というだけではない。
もっと本質的に、決して原子力発電っていうのは石油の代わりにはならないということが次第に認識されてきたということだと思います。原発を作るためには大変な量の石油が必要である、その石油を火力発電なんかで使った方がむしろ有効なんではないか、ということですね。原発を作るにはいろんな所で石油を使ってしまう、つまりコンクリートを作り、鉄を作り、濃縮ウランを作る、そのために膨大な石油を使ってしまう。一方、原発を動かしてみるといろいろと故障が多い。年間の操業率は40%位、そういうことを考慮に入れると、始めから石油で火力発電をやった方がよっぽどいいじゃないか、というわけですね。
それから、あたかも原発は石油の代わりになり得るかのように言われているけれども、そんなことは絶対にない。何故かというと、原発からは今のところ、電気しか作れない。原子力製鉄なんてこともいわれていますけれども、とても実用にはならない。要するに原発では蒸気を作ることぐらいしかできないし、蒸気によって何ができるかといえば、一番手っ取り早いのが電気を作ることなんです。ところが我々の周りのエネルギーをみれば、全部が全部、電気ではない。全体の20%程度ですね。石油は燃料以外にもいろんなものに使われている。熱そのものとしても使われている。ということで、石油をすっかり原子力発電におき換えることはできない。
で、今、原発は発電にしか使えないっていったんですが、発電っていうのはものすごく能率の悪いことをしているんです。私はよく、原発というのは海を温めるついでに電気を起こしている、というんですが、というのは作った熱の70%は海に捨ててるからです。残りの30%だけが電気にかわる。何故そんな無駄なことをするか、といえばこれは熱力学の法則ってやつで決まっていて、それ以上の効率をあげられない。もう一つには原発が危険だからです。もっと温度を高くすれば、高い温度の蒸気を作れば効率をもう少し上げることができるんですが、原発は危険だからそういうことはやらないわけです。ということで、原発が作った熱の30%しか電気に代わってません、あとは全部海に捨てているんです。


原子力がなくてすむ生活のあり方

そういうことを考えると、原子力の全部を否定しない考え方に立ったとしても、これから100年先にずっと頭のいい人がでて、害のないような原子力の利用法をみつけるかもしれない。私は人間の技術的な知恵はこれからいくらでも発達すると思うので、その時までとっといた方がいいのじゃないか、大部分の熱が海を温めるために使われるというそんな変なやり方でない、もっと安全で有効なやり方で原子力エネルギーが利用されるような時代になるまで、大事にとっとくべきだと思います。じゃ、その間どうするかということですね。電力会社は10年ごとに電力の使用量は2倍になる、だから、これから10年後に日本の発電能力を2倍にしなくちゃならない、そういう一種の危機感みたいなものをあおり立てて原子力発電をやっているわけです。逆にいうと、10年前には今の電気の半分で我々は暮らしてたんです。1973年、10年前の暮しはそんなに絶望的だったですかね。10年前程度の電気しか使えないとしたら、我々はもう生きられないわけですかね。よく、一原発に反対すると、ローソクで暮す気かなんて言われますが、何も僕はそんなこと一言も言つてない。これから10年先、2倍にする必要なんかないじゃないか、今と同じでもいいし、なんだったら今より50%位落としたっていい。今、原発で作っている電気は約2割といわれていますが、その分だけ全部節約したっていっこうにかまわないじゃないか、ということです。勿論そのために銀座のネオンが消えるかも知れない。僕はものすごく腹が立ったことがあるんですが、福島だったか、こういう話をしたら、そこの青年が、でも銀座のネオンは輝いていた方がいいよって言うんですよね。あんた、銀座へ行ったことがあるのかつて聞いたら、行ったことないって。行ったこともないのに何故銀座のネオンの心配をしなくちゃなんないのか。一時、節電節電って騒がれたことがありましたよね。広告灯を消されて気持ちよかったと思うんですよ。今はネオンをパカパカつけるから、あんまりついちゃっているからひとつも目立たない。結局、あれ、ないのと同じことになっていると思うんですが、それだったら節約したっていっこうにかまわないと思うんですよね。しかも、原発所在地の人々を犠牲にして何故、そんな電気の使い方をするのかっていうことですね。
10年前の生活に戻ることはそんなに苦痛だと私は思いません。それどころか、20年前の1960年頃の生活だって実にかまわないと思います。ですから、今から10年後のことを考えて、原発をどんどん作らなくちゃいけないんだというような宣伝にまどわされる必要はありません。西ドイツをはじめヨーロッパではもうそういう気分になってきている。それが一つには緑の党という組識が大きな勢力を伸ばし始めたことにも表われて来ています。残念ながら、日本はまだそういう所に来ていないように思うんです。けれども、何でも電化して便利になっていくことにさほど意義を感じない、むしろいろんな自然食品に興味をもち、公害には鋭く反対していくというな生活意識の変化がみられます。これは緑の党の伸張ということと根は同じだと思うんですね。食品公害の問題にしても、見た目のきれいさとか形のよさだとか、そういうことだけにまどわされないで、本当に命を大切にするようなものを考えていこうということがありますが、それも同じだと思うんです。
最後に、原発の危険というのは2通りありますね。事故が現実に起こるかも知れないという危険、それから何十万年にもわたって子孫に毒物を残すという危険。何十万年にわたって人間はその毒物を管理し続け、管理に手落ちがないということになるかも知れないが、それによって我々が管理され、抑圧されることに必ずなる。そういう管理のパターンというものはさけたい。今だってもうできちゃっていますけれども、今より更に10倍も増えるということを、今すぐにでもくい止めなければならない。そういう意味で、これからの10年、20年、せいぜい長くて50年、その問、少し楽をするために、毒物を作り出してしまうということだけは、我々はさけようではないか、そういうふうに僕は思っているわけです。

(本文は、去る7月8日の講演会のテープを起こしたものです。整理の不手際はすべて編集者の責任です。)

[解説]

水戸巌氏のこの三つの講演記録は、いずれも茨城県平和擁護県民会議原発対策部会並びに原告団の共催により、茨城県労働福祉会館を会場として実施された講演の内容である。この他に1979年4月15日にスリーマイル島原発事故に関する講演会が行なわれたが、本書には収録できなかった。なお、1と2は『東海原発裁判ニュース』に掲載されたものである。水戸氏の講演は原発をめぐるその時々の重要な局面でなされたものであり、その歯切れのいい口調と明解な主張は参加者に大きな感銘を与えた。ただこのような文章において、水戸氏のその口調や烈々たる反原発の気迫が充分に伝えられないのが残念である。なお、非専門家の原告団が四苦八苦してテープを起こした。単純なミスや不明瞭な点があるとすれば原告団の責任であることをご了解いただきたい。



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テーマ:原発事故 - ジャンル:ニュース

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