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【日米同盟と原発】第1回「幻の原爆製造」 (6)腹を切る時が来た 2012年8月16日 中日新聞
【日米同盟と原発】第1回「幻の原爆製造」 (6)腹を切る時が来た 2012年8月16日 中日新聞

広島に原爆投下

 日本の原爆製造計画「ニ号研究」がとん挫したころ、米国の「マンハッタン計画」は最終局面を迎えていた。1945(昭和20)年7月16日、ニューメキシコ州の砂漠で世界初の核実験「トリニティ」に成功した。

 開発責任者で、後に「原爆の父」と呼ばれる科学者のロバート・オッペンハイマーは戦後、大空に広がるきのこ雲を見た時の気持ちを、米NBCテレビでこう振り返った。

 「世界は今までと同じ世界ではなくなった。われは世界の破壊者なり」

 日本の敗戦が濃厚になった45年8月6日朝。米軍のB29「エノラ・ゲイ」が広島にウラン原爆「リトルボーイ」を投下し、市街地が焼き尽くされた。世界で初めて原子力が戦争目的に使われた。
一夜明けた7日、陸軍将校が理化学研究所の仁科芳雄の研究室を訪ね「アメリカが広島に原子爆弾を落としたと報告があった。調査団を派遣したいから、参加してほしい」と要請した。

 仁科は、その日午後に埼玉・所沢飛行場から軍の用意した飛行機で広島へ向かった。ところが、機体が故障し、富士山付近で引き返した。

 自分たちがたどり着けなかった原爆で、日本が大打撃を受けた。仁科の当時の心境は今も定かではない。が、その一端を知る手がかりとして、7日夜に理研の部下、玉木英彦(35)あてにしたためた手紙が残っている。そこにはこうある。

 「吾々(われわれ)『ニ』号研究の関係者は文字通り腹を切る時が来たと思ふ。…米英の研究者は理研の研究者に対して大勝利を得たのである」

 仁科は翌8日、広島へ向けて再び飛び立った。原爆の破壊力が、いかなるものかをこの目で確かめるために。日本の敗戦が近づいていた。

     ◇

 この特集は社会部原発取材班の寺本政司、北島忠輔、谷悠己、鈴木龍司が担当しました。
 米軍による広島、長崎への原爆投下で、被爆国となった日本。「核の恐怖」を身をもって知った、その日本がなぜ戦後、原子力推進を国策として掲げ、世界有数の原発大国となったのか。シリーズ「日米同盟と原発」は太平洋戦争をはさんで、敵国から同盟国へと転じた米国との日米関係を手がかりに、その根源的な謎に迫る特集です。今後、随時掲載していきます。

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