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【日米同盟と原発】 第1回「幻の原爆製造」 (3)ウランを入手せよ 2012年8月16日 中日新聞
【日米同盟と原発】 第1回「幻の原爆製造」 (3)ウランを入手せよ 2012年8月16日 中日新聞

決死のUボート

 理化学研究所の仁科芳雄らを最後まで悩ませたのが天然ウランの確保だった。必要としたウランは2トン。占領下の朝鮮半島や南方のマレー半島からの調達を試みたほか、遠い欧州にも目を向けた。

 陸軍は、ドイツ占領下のチェコスロバキアで「ピッチブレンド」というウラン鉱石が採れるとの情報を入手していた。1943(昭和18)年7月、陸軍航空本部の大佐、川嶋虎之輔が駐ドイツ大使の大島浩(57)に送った極秘電報を、米軍が傍受している。米公文書館に残るその電報コピーには次のようなやりとりがあった。

 【7月7日 東京→ベルリン】「日本にピッチブレンドを輸出できるか、早急に調査せよ」

 【9月1日 ベルリン→東京】「ピッチブレンドを入手する交渉を続けるので、研究目的の重要性を示す文書を送ってほしい」

 【11月15日 東京→ベルリン】「1トンの酸化ウランを入手せよ」

 大島はナチス幹部と交渉したが、なかなか許可が下りない。当時、ドイツも原爆開発を進めており、日本への警戒感が強かったためとみられている。
 ようやく認められたのは極秘電報から1年以上もたってから。45年3月24日、酸化ウランを積んだ独潜水艦Uボート「U234」が独北部のキール港から日本へ向かうことが決まった。

 護衛として、欧州に駐在する2人の日本人技術将校が搭乗した。ドイツで潜水艦の設計を学んでいた友永英夫(36)と、イタリアで飛行機の研究に携わっていた庄司元三(41)の両中佐だった。

 欧州戦線は、連合国軍がドイツの首都ベルリンに迫っていた。バルト海から大西洋の海域も支配され、日本にたどり着ける保証はなかった。

 友永と庄司は、敵に拿捕(だほ)された時は自ら命を絶つ決死の覚悟だった。家族にあてた遺書をしたため、睡眠薬ルミナールの瓶を持って艦に乗り込んだ。

 U234を題材にしたノンフィクション「深海からの声」(新評論)によると、当時、乗組員の間でベルリン出身の女優、マレーネ・ディートリヒが歌う「リリー・マルレーン」がはやっていた。乗組員らは「大洋の底に沈んでも 一番近い岸まで 歩いていこう 君のところに」と歌詞を替え、気持ちを奮い立たせた。

 キール港をたってから1カ月余り後の5月1日。U234の無線通信室に「ヒトラー総統死去」の連絡があった。ヒトラーは戦局を悲観し、その前日にピストル自殺した。7日にはドイツが連合国に降伏し、日本とドイツの同盟関係が破棄された、との情報も入った。

 動揺する艦内で、友永は艦長のヨハン・フェラーに「生きたまま敵側に引き渡されるのは許されない。このまま日本へ行ってください」と、航海続行を申し出たが、かなわなかった。艦は連合国軍の停船命令を受け入れ、ドイツ人乗組員は全員投降を決めた。

 友永と庄司は、持っていたルミナールをあおった。2人はフェラーにあて「運命には逆らえません。静かに死なせてください。遺体は海に葬ってください」と、ドイツ語の遺書を残して自決した。

 5月14日の夜。艦は静かに洋上に浮かび、エンジンを止めた。2人の遺体は重しとともに漆黒の海に降ろされた。10分間の黙とうがささげられた。

 U234の積み荷は、米軍が直ちに押収した。戦後、米国が公開した公文書によると、積載した酸化ウランは560キログラムで、仁科らが望んだ2トンにははるかに及ばなかった。しかし、それこそ2人の将校を犠牲にしてまで陸軍が守ろうとしたものだった。

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