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【日米同盟と原発】 第1回「幻の原爆製造」 (5)少年らに「マッチ箱一つ」  2012年8月16日 中日新聞
【日米同盟と原発】 第1回「幻の原爆製造」(5)少年らに「マッチ箱一つ」 2012年8月16日 中日新聞

福島で勤労動員

 酸化ウランを積んだドイツの潜水艦Uボート「U234」が日本へ向け出航した1945(昭和20)年3月。同じような悲劇は日本でもあった。福島県石川町の私立石川中学校の生徒が校庭に集められた。壇上の陸軍将校が「君たちに動員命令が出た。お国のために働いてもらう」と檄(げき)を飛ばした。

 石川町は希少な鉱物産地として知られ、今も山間部には、ペグマタイト(巨晶花こう岩)の白い岩肌があちこちで見られる。陸軍はペグマタイトに含まれるわずかな天然ウランに目をつけ、国内でのウラン確保にわずかな望みをつないだ。

 石川中は、高校野球の古豪、学法石川高の前身。4月になると、3年生になる男子生徒150人がウラン採掘に駆り出された。いずれも14、15歳の少年たちだった。

 その1人で、現在は81歳の有賀●(きわむ)は、当時の作業ぶりを鮮明に覚えている。

 「麦飯やイモの弁当を持って毎日、10キロ離れた採石場まで歩いた。ひたすら土を削り、2人で運んだ。休みは雨の日だけだった」
 岩を覆う土をツルハシで削り、縄を編んだモッコに棒を通して2人1組で運び出す。鉄のノミやたがねで岩に穴をあけ、ダイナマイトで爆破する。散らばった破片から、指のツメほどの黒い鉱石を探し出す。そんな毎日が続いた。

 有賀が中心となって93年にまとめた文集「風雪の青春」は、勤労動員に駆り出された少年たちの苦難をつづっている。

 「早朝から夕方まで、手に豆、肩にあざ、毎日スコップとモッコで、よく働いた」

 「靴の代わりに草鞋(わらじ)を履いた。とがった石で足をけがして、血を流しながら作業した」

 陸軍は、ペグマタイトの岩石から、天然ウランを含む鉱石サマルスカイトを3トン掘り出し、計500キロの酸化ウランを得る皮算用だった。気の遠くなるような無謀な計画だが、有賀によると、勲章を着けた軍人がこうハッパを掛けたという。

 「君たちの掘っている石がマッチ箱一つくらいあれば、ニューヨークなどいっぺんに吹き飛んでしまうんだ。がんばってほしい」

 マッチ箱一つの“火薬”で形勢逆転-。軍事教育を受け、教育勅語をそらんじる少年たちは、そんな言葉に発奮した。時折、軍人が配るキャラメルを楽しみに、懸命に働いた。

 採掘を初めてから2カ月余り後の6月13日。陸軍の委託を受けていた石川山工業所が「石川山で採掘したサマルスカイトが750キログラムに達した」と報告した。しかし、このころ、理化学研究所の仁科芳雄が進めていた「ニ号研究」は既に中止を決めていた。ウランを調達したところで、使う見込みはない。が、少年らは、その事を知らされなかった。

 目的を失った勤労動員は8月15日の終戦まで続いた。有賀はその日も石川山の採石場に向かったが、途中で引き返した。「天皇陛下の重大放送があるらしい。家で聞こう」。川の畔(ほとり)で一緒になった同級生と話した。

 「両親、祖母と一緒に、ラジオに向かって正座して聞いた。放送が終わると、父が『戦争が終わった』と言った。もう働かなくていい、死ななくてよかった、と喜びがわいた」と振り返る。

 原爆製造のためウラン発掘に駆り出された少年たち。福島を舞台にした「核の悲劇」は昨年3月、東京電力福島第1原発事故で再び繰り返された。原発から60キロ離れた故郷、石川町に今も住む有賀は「『絶対勝つ』と言い続けた戦前の軍国主義と、『原発は安全』と唱えてきた原子力政策はダブって見える。私は2度、国に裏切られた思いだ」と話す。

(注)●は「究」の「九」の部分が「丸」

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