

1949年1月13日付の愛媛新聞に掲載されたあとむ製薬の鎮痛剤「ピカドン」の広告
「原子力機関車」や「お米の原子力時代」、「巨人の原爆打線」まで…。連合国軍総司令部(GHQ)による情報統制が敷かれた占領期は、被爆地の惨状や放射能被害の記述が検閲で削除され、原子力を賛美する報道が増えていった。
占領期情勢に詳しい一橋大の加藤哲郎名誉教授は「戦前から児童雑誌などで美化されていた原爆が現実のものとなり、検閲で本当の恐怖を知らされていない国民にとって一層あこがれが強まったのでは」と分析する。
こうした傾向は被爆地にも表れる。原爆投下3年後の1948(昭和23)年に広島市で創業したその名も「あとむ製薬」。「ピカドン」という名の鎮痛剤を販売した。創業家の渡邉英彦さん(68)は「病気に打ち勝つ強大な力の象徴として名付けたと聞いた。当時の風潮では珍しくはなかったようだ」と話す。
こういう風潮にしてしまうのでしょうね、ひどい話ですね。 今も続いていますもんね、こんな命名はないにしろ、(原発はだいじょうぶ)と少しずつ信じ込まされるようなところがね。
> え!!これは、絶句です。原爆投下後なんですね、なんていうことだろう、、。
> こういう風潮にしてしまうのでしょうね、ひどい話ですね。 今も続いていますもんね、こんな命名はないにしろ、(原発はだいじょうぶ)と少しずつ信じ込まされるようなところがね。
ビックリする転換ですよね。
巧妙な洗脳政策が進行しています、相変わらず。
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