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【日米同盟と原発】 第6回「アカシアの雨 核の傘」 (4)デモは終わった就職だ  2013年2月26日 中日新聞
【日米同盟と原発】 第6回「アカシアの雨 核の傘」(4)デモは終わった就職だ  2013年2月26日 中日新聞


うっぷん晴らし

 安保闘争は一九六〇(昭和三十五)年六月十八日、国会前に三十三万人を集める戦後最大の反体制運動になった。ところが、翌十九日、日米安保条約の改定が自然承認されると、ほとんどの学生は潮が引くように運動から去った。

 学生や労組中心の闘争には反核団体も参加した。ところが、なぜだか原発はテーマにならなかった。

 名古屋大の学生だった現在七十七歳の森賢一は、原水爆禁止運動から安保闘争に身を投じた一人。「当時の原水爆禁止世界大会で、欧米の出席者は『原爆も原発も根っこは同じ』と反原発を主張していた。だけど日本側は平和利用まで反対する必要はないと受け入れなかった。核兵器原発は別物と考えられていた」と話す。
 東京大OBで当時、学生運動の指南役だった現在八十歳の政治評論家、森田実「僕は放射能を制御できない危険性や軍事転用の可能性を指摘したが、相手にされなかった。平和利用を持ち上げたメディアのせいだ」と不平を漏らす。

 このころ、茨城県東海村で英国の技術を導入した国内初の商業炉、東海原発が着工したばかり。

 「安全性や核廃棄物の問題は当時から指摘されていたが、技術で克服できると考えていた」と証言するのは東大助手としてデモに参加した現在八十二歳で、物理学者の小沼通二(みちじ)。「核のごみの問題がいつまでも尾を引くと見抜けず、安保闘争に結び付けられなかった」と悔やむ。

 闘争には、三井三池争議の炭鉱労働者も加わった。その一人、現在七十五歳の中原一は「デモの学生は三池まで応援に来てくれたが、安保が終わると、インフルエンザの流行みたいにサーッと引いた」

 「おれたちの生活がかかっていた」という炭鉱問題は忘れ去られる。石炭は時代遅れのエネルギーとされ、その後を埋めたのは安保闘争が見過ごした原発だった。

 六〇年、西田佐知子が歌う「アカシアの雨がやむとき」が流行した。「アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい」-。

 退廃的な歌詞と西田の乾いた声は条約を阻止できなかったデモの敗北感と重なり、安保時代の歌として今も語られている。

 安保改定直後の六月下旬、雑誌「週刊文春」は「デモは終わった さあ就職だ」との特集記事を掲載し、世間を驚かせた。

 当時若手記者として取材したのは現在八十二歳の作家、半藤一利。「デスクから指示され、半信半疑で大学に行ったら、就職説明会場は満席。当時の学生らにとって安保闘争は政治運動というより、うっぷんを晴らすガス抜きの場だった」と振り返る。

 二〇一一年の福島第一原発事故後、国会を取り囲む脱原発デモ。「安保は組織の動員、原発は一般市民の意思。決定的に違う」としながらも、半藤は先行きに気をもむ。

 原発推進に積極的な自民党が政権に復帰したことで運動が下火になれば「目的を果たせないと一気に引いてしまう安保闘争と同じになる」と話す。

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テーマ:環境・資源・エネルギー - ジャンル:政治・経済

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