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【日米同盟と原発】: 第8回「勝者の驕り」 (2)お座敷に軍艦マーチ 2013年4月26日 中日新聞
【日米同盟と原発】: 第8回「勝者の驕り」 (2)お座敷に軍艦マーチ 2013年4月26日 中日新聞

blog マンスフィールド大使が77年7月12日付でバンス国務長官に送った極秘電文のコピー
マンスフィールド大使が77年7月12日付でバンス国務長官に送った極秘電文のコピー。カーター大統領はこれを読み、電文右上に「マンスフィールドに私自身が妥協の決定を迅速に行うと伝えてくれ。彼から福田(首相)に話してもらっていい。遅滞なくオプション(選択肢)を示してほしい。JC(ジミー・カーターの略)」と手書きし、長官に返した。「Cy」は長官のファーストネームのサイラス(Cyrus)の略


◆日本、引けぬ交渉

 カーター政権が日本に懸念を示したのは、一九七七(昭和五十二)年中の運転を目指していた茨城県東海村の再処理施設原発の使用済み核燃料から核兵器に転用可能なプルトニウムを取り出す再処理施設は、核兵器を保有する米ソ英仏中の五カ国以外では初めてだった。
 日本の立場は、再処理で取り出したプルトニウムを全量、高速増殖炉軽水炉プルサーマル発電で燃やす再利用だった。七三年の石油ショックで悲哀を味わった資源小国にとって「核燃料サイクル」は悲願であり、再処理はその中核を担う事業との主張だった。

 しかし、カーター政権は日本に例外を認めれば、核不拡散政策は政権発足直後からつまずきかねないとして、日米原子力協定を盾に中止を迫った。再処理路線は歴代の米政権が認めてきただけに突然の方針転換は、日本にとって“寝耳に水”だった。

 「運転直前になって制限しようとするのはひどいじゃないかと、相当ショックを受けた」。日米交渉を担当した現在八十三歳の元外交官、矢田部厚彦は、当時の日本側の雰囲気をこう語る。

 日米が激突したのは七七年三月にワシントンで開かれた首脳会談。カーターは当時首相の福田赳夫(72)に「再処理は必要ない」と、テーブルに英文の報告書を放り投げた。

 米国のエネルギーや経済の専門家ら二十一人がまとめた「フォード・マイター・リポート」。四百ページを超える膨大な分量で「再処理は核兵器転用の危険がある。発電コストの削減も少ない」などと書かれていた。

 当時、外務省科学課長で現在七十六歳の太田博は、首脳会談を終えた首相福田が強い口調でこう憤慨していた、と証言する。

 「日本は平和利用に徹している。核拡散の危険なんてない。疑うとは心外だ」

 ところが日本を疑っていたのは米国だけではなかった。

 東海再処理の事業主体、動力炉・核燃料開発事業団(現・日本原子力研究開発機構)の幹部だった現在九十歳の中島健太郎。アフリカのザンビア駐日大使との会話で、こんなエピソードがあったことを打ち明ける。

 「『プルトニウムの何パーセントを平和利用に使うのか』と質問されたので『100%だ』と答えたら、信じられないという顔をされた。『再処理して核兵器を造らないわけがないだろう』というのが世界の常識だった」

 七七年四月にスタートした日米再処理交渉。日本側責任者は科学技術庁(現・文部科学省)長官の宇野宗佑(54)だった。

 元科技庁事務次官で現在七十一歳の石田寛人は、宇野が「日本は世界経済の原動力。エネルギーを支える原子力計画に水を差されては、世界をけん引できない」と決意を語ったのを覚えている。

 後に首相に上り詰めるが、在任わずか六十九日間でその座を追われる宇野。原因は東京・神楽坂の芸妓(げいぎ)との女性スキャンダルだったが「このころからお座敷遊びが好きだった」と、当時支えた官僚らは口をそろえる。

 事務レベル交渉で何度も来日した米国務次官付上級原子力補佐官シャインマン。宇野はやはり神楽坂の料亭でもてなした。

 同席した現在七十六歳で当時、科技庁の調査国際協力課長だった川崎雅弘によると、宇野はシャインマンの名を「輝く男」と日本語に訳して、こう持ち上げた。「日本には源氏物語という有名な作品がある。主人公はあなたに似た光源氏という名前で、女性によくもてる」

 時にはお座敷で得意のハーモニカも披露。「軍艦マーチ」を吹いて日米の担当者を笑わせ、場を和ませたという。宇野が神楽坂でハーモニカを吹いていたころ、ホワイトハウスの空気も微妙に変化し始めた。

 米ジョージア州アトランタのジミー・カーター図書館に保管されている内部文書によると、交渉開始からおよそ二カ月後の五月三十一日、大統領補佐官ブレジンスキー(49)はカーターに「東海は(七月の)参院選で主要争点の一つになる」と、政治問題に発展する懸念を伝えた。

 一カ月半後の七月十二日。米駐日大使マンスフィールド(74)は「将来の日米関係のために妥協が必要」との極秘電文を国務長官バンス(60)に送っている。

 その三日後、バンスから報告を受けたカーターは福田に書簡を送り「双方の利益を受容できる妥協を見いだせると確信し、努力を尽くす」と、譲歩する構えを示した。

 マンスフィールドの評伝「マイク・マンスフィールド」(二〇〇五年発刊)によると、この時の書簡は「バットマン・チャンネル」と呼ばれる日米の両首脳を直接結ぶ非公式の電信で送られた。

 全面対決から妥協へと向かい始めた日米の再処理交渉。落としどころを探るキーマンとなったのは「ハーモニカマン」でも「バットマン」でもなく、地球を一周した元宇宙飛行士。民主党の有力上院議員グレン(56)だった。

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テーマ:軍事・安全保障・国防・戦争 - ジャンル:政治・経済

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