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【日米同盟と原発】: 第8回「勝者の驕り」 (3)再処理 経済力でもぎ取る 2013年4月26日 中日新聞
【日米同盟と原発】: 第8回「勝者の驕り」 (3)再処理 経済力でもぎ取る 2013年4月26日 中日新聞


◆英雄グレン動く

 民主党の上院議員グレンが極秘に来日したのは一九七七(昭和五十二)年八月下旬。日米再処理交渉が妥協点を探り始めたころだった。グレンはその地ならしに向け、大統領カーターが派遣した密使だった。

blog 77年9月スミス米特別代表(左)と宇野科技庁長官
77年9月、日米再処理交渉が合意に達し、外務省で記者会見するスミス米特別代表(左)と宇野科技庁長官

 六二年に米国で初めて地球を回った元宇宙飛行士。「国民的な英雄」とたたえられた人気を背景に七四年、米中西部オハイオ州選出の上院議員に初当選し、政界入りした。
 国際関係や核問題にも精通し、まだ一期目だったが、上院エネルギー・核拡散問題小委員会の委員長も務める実力者。州知事から大統領になったばかりのカーターにとってグレンは頼りになるブレーンだった。

 そのグレンの来日は一部の日米関係者を除き秘密にされた。公式協議に参加しなかったグレンは「外務省の一室にこもり、大川美雄国連局長と話し合っていた」と、外務省科学課首席事務官だった金子熊夫は証言する。

 それまでの日米事務レベル交渉で、米側は再処理施設の運転条件としてプルトニウム単体ではなくウランと混ぜて取り出す混合抽出法を提案していた。核兵器の転用に一定の歯止めをかけるためだった。ところが、日本側はコストや技術的な難しさを理由に難色を示していた。

 「ビールをつくる機械でサイダーをつくれと言っているようなもの」。首相福田赳夫はそう言って、米側の提案をこき下ろした。

 密使グレンが帰国してから数日後の九月一日。東京で開かれていた再処理交渉は最終日を迎えた。事務レベルの協議で目立った進展はなく、交渉団の一員だった金子も「今晩はやけ酒でも飲むか、と仲間と話していた。あきらめムードだった」と当時を振り返る。

 ところが、米特別代表スミス(63)は予想に反し、日本側の主張を丸呑(の)みする。その場にいた当時、外務省科学課長の太田博は、日本側の驚きぶりをこう表現する。「一斉に『おおー』という声が上がった」

 日本の主張は日本が現時点で混合抽出ができなくても、将来的な課題として取り組むという内容。裏付けのない努力目標にもかかわらず、米国側は受け入れ、日本の再処理を認めた。

 首席事務官だった金子は「再処理で恩を売って、経済面で日本の譲歩を取ろうとしたのではないか。こちらが思う以上に米国は交渉をトータルで考えていた」と話す。

 当時、日米間の最大の懸案は貿易摩擦七三年の石油ショック後、燃費に優れた日本の小型車は米国市場でシェア(市場占有率)を伸ばし、米三大自動車メーカー(ビッグスリー)を脅かしていた。その米自動車産業の拠点の一つが、あの上院議員グレンの地元、オハイオ州だった。

 日米再処理交渉が決着した四年後の八一年。通商産業省(現・経済産業省)はトヨタ自動車など大手メーカーに対米輸出の自主規制を要請する。しかし、自主とは名ばかりで、実態は日本政府が摩擦緩和を名目に米国の自動車産業を事実上救済するものだった。

 再処理施設は七七年九月二十二日、当初より二カ月遅れで念願の試験運転に入る。プルトニウムを取り出したのはその年の十一月六日で、その量わずか八百二十グラム。これが、対米交渉に半年を費やし、当時、世界第二位の経済力を使ってまで、日本が手に入れたかったものだった。


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テーマ:軍事・安全保障・国防・戦争 - ジャンル:政治・経済

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